見出し画像

される側に伝えたい「インタビュー記事」で不快な思いをしないための3つのこと

30年以上前に、保育士から就職情報誌『とらばーゆ』の読み物ページの編集者に転身。

主婦と生活社、日経PB社、小学館、学研、NHK出版
などの記事を編集者、またはライターとして執筆してきました。

インタビューしてきた方の数は約1,900人。まだ、増え続けています。

取材というと「情報」をいただくことが多いのですが、私の場合は「思い」や「経験」を聞かせてもらうロングインタビューが多く、いわゆる店舗への取材などを数に入れると、お話を伺った方は2,000人を超えています。

インタビューする側とされる側のズレ

著名な方と違って、一般の方は、おそらく人生においてインタビューされることは、ほんの数回しか経験しないと思います。

ゆえに、できあがった記事への思い、希望、そして、不満なども、きっと、たくさんおありだと思います。

私自身、これまでに3〜4回、取材を受けたことがありますが、できあがった記事にがっかりしたことがあります。しかも、よりによって自分がいた就職情報誌の先輩の担当記事で「私がまったく言っていないセリフ」を書かれたことがあり、ゲラ(最近は初校ということが多い)の段階で、全面書き直したことがあります。

なぜこのようなことが起こるのでしょうか。

実は、
執筆する側(インタビュアー)と
書かれる側(インタビュイー)には
大きな「視座」の違いがあるのです。

それぞれが見ているところが違うのです。
具体的に、なにが違うのでしょうか。

商業文書には「企画意図」がある

「有料の広告記事」を除き、なんらかの媒体に掲載される文章は、すべて、必ず、「企画意図」があって作られています。お金を出してまで、媒体を制作するということは、発信者(制作側)には、必ず意図があるのです。

その媒体を読む、読者に対して、なんらかのメッセージを伝えるために作られているのです。インタビューを受けていただくということは、そこに協力していただくと言う感じです。

前出の私の先輩の記事は「結婚退職ではなく結婚転職しよう」という企画意図の記事でした。私は月2万円のお小遣いを自分の貯金から使っていましたが、企画意図に合うように「お小遣いなんて一銭もありません!」という台詞を許可なく書かれていました。驚愕でした。

それはひどい事例ですが、要するに、インタビューされた人にとって「自分が伝えたいこと」が100%掲載されるわけではなく、媒体側の読者に対して「こんな情報を提供したい」という企画意図に沿った内容が書かれることになるわけです。

とはいえ、時間と労力を使って、これまでの人生のカケラ(経験や思い)を伝えるわけですから、それだけのメリットが感じられない場合は、取材を受ける必要はないと思います。

編集者・ライターとしては、その経験をいただくわけですから、インタビューされる側の方の思いをむだにしなくて済むように、しっかりと伝えたいと思っていますが、インタビューされる側の方も、媒体の「企画意図」を確認してみるといいでしょう。ご自身の言いたいことを、交渉次第でなるべく載せてもらうことはできると思います。

ただし、修正は、通常、あまり何度もしてもらえるものではありません。

新聞:確認なし
雑誌:媒体によるが、小さな記事なら1回。大きな記事なら2回(修正後の案を再度チェックして修正希望を出し、その結果は任せる)。という感じで、通常は1〜2度しか修正しないのが一般的です。

修正が多い方は、インタビューされることに慣れていない方が多いです。ご自身の思いを話し慣れていない方にとって、「やっぱりこんな風に話せばよかった」と後から思いつくのは、私は、当たり前のことだと思っています。仕方ないですよね。また、繊細な内容の方の場合は、私個人的には可能な限り、修正に応じるようにしています。

ただし、完全に思った通りの言葉と内容を希望するのならば、ご自身で出版んされるか、記事であれば有料広告を打つのが一番だと思います。

仮名の記事の場合は、修正確認をおこなわない場合も多いです。ライターは年間100人以上の人にお会いするような仕事ですので、仮名の相手を特定されることもないだろうと私は考えていました。でも、取材された側からすると自分のことを書かれていることがバレてしまったら……と不安になる方もいらっしゃるようです。ゆえに、毎回、仮名なのでこのまま記事を出しますねと確認していますが、それでも後で驚かせてしまったことがあるので、最近は、もう仮名でのインタビュー記事を書くのを辞めました。

書かれる側は「正確さ」を
書く側は「伝わりやすさ」を重視する

一番の違いのポイントは、これに尽きます。

編集者になって最初に先輩に言われたのは「義務教育レベルの人が読んで通じる記事を書きなさい」ということでした。現在、ライター講座でもこれをお伝えしています。また、私は、なるべくご本人の言葉をそのまま使うようにしています。

とはいえ、
・言葉を端折っているので加筆が必要
・言葉が多すぎるので要約して端的に

と、真逆のベクトルが必要になることは多々あります。それぞれに応じてバランスを取るようにしています。もちろんご希望に添えない場合もあります。

読者にとって必要なことを届けるためには、その人にとっては常識で当たり前のことでも、ほかの人が知らないことは細かく段階を追って説明しないとダメな場合があったり、逆に、複雑なので文字数の限られた記事内ではあえて明文化しないほうがよいこともあります。

あえて書かない
あえて曖昧にする

例えば、
◯◯年に◯◯大学の◯◯学部を卒業。
その後、◯◯を経て、◯◯先生に声をかけてもらって、◯◯学部に編入。
などの、経歴。

これらは、読む側にとって細かいことはどうでもよかったりします。あまりに細かい指摘が入ってきた場合は、省略させてもらいます。細部の文字表現にこだわるあまり、一番大切なことを書けなくなることがあるからです。文字数が限られているため、そこはすべてを書くより、重要なところが伝わるように構成を考えます。

想いや状況などの細かいニュアンスなどについても、

・Aという立場の人が読めば鼻につくだろうな
・Bという立場の人が読めばわかりにくいだろうな
・Cという立場の人(専門家やその道にこだわりがある人)が読めばツッコミたくなるだろうな

などの、あらゆる状況や誤解に対応するために、わざとぼかしたり、抽象的なまま置いておくこともあります。書けば書くほど、誤解が生まれることもあります。

こればっかりは予測不能です。
なぜなら、読者は全員、背景が異なるため、持っている知識や経験はもちろん、固定観念や、思想が異なるからです。

配慮してもしてもしきれないのです。どこかであきらめる必要があります。

話し手と読み手のバランスを取るのが書き手

インタビューされる側の人にとって100%満足のいく記事が、読者に伝わる記事とは限りません。

多くの方は、自分の専門分野や、自分の経験のなかから話をしてくださいます。でも、それが、読者にどう受け取られるのかということは、編集者やライターのほうが知っています。

自分や、人の、認知の範囲を俯瞰して知ることを「メタ認知」と言いますが、制作する人たち(編集者・ディレクター・ライターなど)は、プロですので、そのバランス感覚はあると思います。

話し手と読み手のバランスを取るのも、書き手(作り手)の仕事です。

そのあたりになってくると、編集者の経験にもよるかと思います。編集者も人間ですので完璧ではありませんが、制作側でも複数人数でチェックが入りますので、そこは任せたほうが無難かと思います。

とはいえ、私自身、不満だったこともあります(私より若い人や経験の浅い人にねじ曲げられて書かれた印象を受けました)。

正直に言うと、やっぱり相性もあると思います。


というわけで、知っていただきたいのは3つ。

  • 商業文書には「企画意図」がある

  • 書かれる側は「正確さ」を、書く側は「伝わりやすさ」を重視している

  • 「話し手」と「読み手」のバランスを取るのが「書き手」

ということでした。

編集者やライターは、「話し手」「読み手」「媒体発行者」の三方よしを目指しており、さらに、その読み手というのは「話し手のことをなにも知らない人」を前提としているために、必要以上に説明っぽいところがあったり、話したはずなのに削除されたり少なくなっているところがあったりするもの……という、事実をお伝えしました。

この記事が参加している募集

ライターの仕事

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?