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イジメられた学生時代 クラブ編


毒親の両親に育てられた私。

中学3年の時、ひどいイジメに遭いました。


中学では、クラブでのイジメから始まり、クラス全体でイジメられるようになりました。


3年が引退後いじめが始まる

クラブはバレー部に入ってました。

先輩がいる1年生の間は、イジメはありませんでした。

2年の時もおちついていましたが、3年生の先輩が修学旅行でいない時から、レギュラーに選ばれてた子たちが威張るようになりました。

先輩が帰ってきてからも、レギュラーグループは威張るようになり、イジメ軍団と化していきました。

・イジメ軍団のボス
背が高く横も広い体格のいい子。まさにジャイアンみたいでした。

・2番手は、副キャプテンの子で、とても性格が悪く、スネ夫のような取り巻き。イジメる命令をしている主犯格。

・3番手は、2番手のいとこで、親族そろって性格が悪かった。

イジメ軍団の中で、この3人がトップとなり、他の子たちは皆言いなりでした。



ある日突然、私はイジメ軍団から無視され始めました。

無視されるようなことは、心あたりがありません。

すると、いつも仲良くしていた子たちも、次々と無視するようになりました。

休憩中もひとり。

ウォーミングアップの時、誰かとペアを組むはずが、誰も組んでくれない。

練習の後片付けの時も、ひとりぼっち。

とても寂しくつらかった😢

けれど、バレーボールは好きだったし、内申に響くので、ずっと続けていました。

耐えることに慣れてたから、続けられたのかも。


エスカレートするイジメ


私がクラブを辞めないのが気に食わないのか、イジメはどんどんエスカレートしていきました。

練習場所がいつも決まっておらず、外の日と体育館の日があります。

いつも前日に皆に共有するのですが、だんだん教えてもらえなくなりました。

だから、着替えて探して合流していました。

時には、練習が中止になったてことを教えてもらえず、トボトボ帰ったこともありました。


ある時、部室が工事されることになり、教室で着替える時期がありました。

どの教室で着替えるかわからず、学校中を探したことがありました。


そして、練習中にわざとボールを当てられるようになっていきました。

ある時、ガマンの限界に達し「なんでこんなにガマンしなくちゃいけないの⁈」と思い、クラブを休みました。

休んだら、緊張感がほぐれ、解放感でいっぱいになり、涙が出て泣き明かしました。

朝になり、とても憂鬱で体が動きません。
人生で初めての遅刻になりました。

クラブも休み、すぐ帰りました。

なにか心の糸がぷっつり切れて、バレーへの情熱もなくなり、ずっとクラブを休むようになりました。


校内に響きわたる「死ね!」

イジメ後遺症?のためか、朝も起きられず毎日遅刻するようになりました。

2、3時間目から入れるように時間を見計らって登校していました。


ある日、遅刻して門の近くにいた時、休憩中だった教室から

「◯◯死ねー!」

「◯◯死ねー!」


と学校中に響き渡る大きな声で、何回も連呼され続けられました。

びっくりして、どこの窓から言ってるのか探したけど見つかりません。

あきらめて歩き始めるとまた

「◯◯死ねー!」

「◯◯死ねー!」


歩きを止めず窓を見ると、サッと隠れた人たちがいました。

イジメ主犯格のスネ夫といとこ2人が、笑っていました。

とてもショックでした…

他人から死ねと言われると「自分は必要ない存在なんだ」「そんなに価値がないんだ」と、心が壊れた瞬間でした。

そして、もうこの人たちと関わるのは無理になってしまい、クラブを退部しました。

そして、安堵の日々が過ごせると思ったら、今度は、クラス全体からイジメられるようになってしまいました。




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