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私が「キャリア教育」にハマった理由② —生き方のベースに

(追記)昨日は仕事の一区切りでひとりで乾杯しながら書いていたのですが、朝起きて読み返すとあまりにもひどい文章でした。。。寝ながら書いてたな。アハハ(*‘∀‘)(←笑い事じゃない)ということで、相当直しますです…スミマセン。反省(追記ここまで)

◆「大学の」キャリア教育科目=
 「よりよく生きるには」を考える科目

私は、大学のキャリア教育科目の非常勤講師を担当していますが、「ライフデザイン」「キャリアデザイン」「キャリア開発」…名称はその大学によってさまざまだけど、学生には「この科目は、よりよく生きるにはどうするかをみんなで考える科目だよ」と言ってます。必修科目だろうが、選択科目だろうが構わない。

「考える」科目だから、正解はないかもしれない。学生には、自由な発想を励行。基本的には否定しません。いいのかわからんけど。いろいろな意見があっていい。いろいろな考えがあっていい。授業がコロナの影響で対面授業からオンラインになりましたが、私が出す問いを学生同士で話し合うというスタイルは変わりません。学生は面白がってくれています(今度書こう)

その授業のシラバスづくり・授業づくりの根幹を担っているのが、大学院時代の指導教授だった児美川孝一郎先生の考え方、というわけです。

◆キャリア教育は「ベース」でしかない

キャリア教育は非常に学際的で、教育学・社会学・心理学など多彩な学問でできています。ただし、学問というよりも、キャリア教育は「コンセプト」「考え方」というぐらいのもの。学校であれば、指導や支援の場でベースとしてキャリア教育の考え方を用い、そのうえに自分の専門領域を馴染ませることができます。家庭も同じ。

「キャリア教育」には、いろいろな見方、いろいろな表現の仕方があります。私は変化が多く、不確実性の多い時代を柔軟に「生きていくための教育」だと言っています。「地元のオヤジ」こと山下さんは、これを「柔道の受け身のようなもの」と表現しています。

投げ飛ばされること、順調に歩いているのに転んでしまうことなんて100年人生ならば山ほどある。みなさんもそうですよね。ここまですべてが順風満帆な人生ではない。普通の道だって、つまづきそうな石が落ちていることはあるし、石に気づかないことだってあります。私は何もないところで転ぶタイプだし(笑) 

柔道ではケガをしないように、「受け身を最初に学ぶ」と言います。それと同じで、社会で投げ飛ばされたり転んだりすることもあると想定し、動かせない石があること、転ぶことがあること、転んだらどうしたらいいのか、傷ができたらどんな手当てが必要か…(キリない)。これらを考えてみる・知っていくことのほうが、社会に出る一歩手前の学生たちには就活内定のテクニック授業に時間を割くよりもはるかに大事です。

さらに、投げ飛ばされたり、転んでしまったり、うまく着地できなかったこと自体は、悪いことなんだろうか。一度投げ飛ばされたら、一生を棒にしてしまうのだろうか…私の授業では、こんなことを社会理解や自己理解といった枠組みのなかで学生に考えてもらっています。

ここまで「どりゃー!」と書いていますが、授業づくりは試行錯誤の連続。いまも検証しながらです。

◆私にとって、キャリア教育は「生き方」のベース

先ほど、学校や家庭のなかでキャリア教育をベースとすることができる…と書きましたが、私にとっては、生き方のベースになっています。

キャリア教育を学ぶようになって、「広く知り・遊び・学び(社会理解)、それをきっかけに自分の内面に入れて考え(自己理解)ていくことが、自分の意思決定につながり、行動の源になる…」という一連の考えができるようになり、何かに悩むときは、どこが不足しているか考えるクセがつきました。

「教育」とつくから、子どもたちのもの…と思う方もいるかもしれませんが、先行き不透明な時代を生きるのは子どもたちだけではなく、私たちオトナだって同じ。生き方指南書はいろいろあるけれど、私はキャリア教育が生き方の羅針盤となりました。もっとたくさんの人に知ってほしいです。

◆(参考)キャリア教育についてもっと知りたい方へ

よく訊かれるので載せておきまーす。

児美川孝一郎(2013)『キャリア教育のウソ』筑摩書房、ちくまプリマー

ウソ

一般社団法人 日本キャリアパスポート協会のブックレット
『キャリア教育のホント ―誤解の多いキャリア教育を、正しく理解するために―』 →児美川先生監修です
『わが子に”生きる力”を育むために―親ができる5つのこと―』
      →児美川先生の講演記録です

ブックレット2冊組囲いあり



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