近所のスーパー行ったら能登半島1周してた話①
これは、およそ6年ほど前、突然[東京-長野-岐阜-石川-富山-また岐阜-なんやかんやで東京]を車で周ってきたときのお話。
相棒のMINIは、まるで自分の部屋だった。
ある日の夜、近所に夕飯の食材を買いに行こうと車を走らせた。
何てことない、東京都内での日常生活。買い終えた食材が詰まったビニール袋をドサッと後部座席に積んで、いつもどおり帰ろうとした。
このときの車といえば、部屋も同然。
運転席に自分だけ。助手席も後部座席もトランクも、全部好きに使っていい。
「なんだか今日はまだ帰りたくないなあ」と、ノープランでドライブ続行。大きな道路をひたすら走ればどこかに着くだろうと、道が続くままに走る。
もともと車が大好きで、小さい頃から乗るのが目標だったMINI cooperに身をまかせていれば最高の心地だった。だから、余計に走ってたい。
そのときは無意識だったけど振り返るとあれは俗に言う「傷心癒し旅行」だったり、「自分探しの旅」だったのかもしれない。今になって気づくくらい、それほど突発的なもの。
ラジオのタイムスケジュールは、時にワタシを自由にする
「高速に乗ってサービスエリアに行こう、旅気分を味わえるはず。なんかお土産でも買って戻ろうかな」、最初はそう思ってた。
着いたサービスエリアは東京を出てわりとすぐの場所。とはいえ山梨県。ならぶ商品も"お土産っぽさ"があって、遠出した感出てるぞ?とワクワクした。
なんかまだ走りたいない気もする。
せっかくだからもうひとつくらいサービスエリアに寄ってみるか、などと、好奇心を行動に移してしまうクセが出た。
当時生放送していたJ-WAVEの番組ふかわりょうさんの『ROCKETMAN SHOW』を聴きながらひた走る。
ラジオを聴きながらドライブするのが大好きだった。パーソナリティの話次第では、ドライブ時間はおのずと長くなる。聴いていたいから。
盲点だった、このラジオ番組は25:00〜29:00までO.A.だった。
しかもやたら面白いときた。
ひたすら走る。
途中、雨が降ってきた。
深夜に、しかも1人でこんな遠出をするのは初めてのことで、ちょっとだけ怖くなってきた。対向車線にも車がいない、前後を走る車も気づけばいなくなった。
しかし『今のワタシにはふかわりょうさんの笑い声がある』、その安心感が車を前に前にと走らせた。
(はい?)
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ワタシがこの旅をしたのが2014年9月初旬。調べてみると、このラジオ番組が終わったのが同年9月27日だったらしい。
もしこのラジオを聞き入ってなければ、今頃ワタシは能登半島の魅力も知らぬまま生きていたかもしれない。ありがとう、ふかわりょうさん。(ん?)
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豪雨だ。
突然電波が入らなくなった。心のよりどころだったラジオも聴けなくなって、いよいよ本格的に怖くなってきた。
運命のパスタソース
「そもそも、ワタシって近所のスーパーに買い物行ったんだよね?帰ったらパスタでも作ろうかって、スパゲッティー二と...珍しく『青の洞窟のパスタソース』なんて買ってみてさ...ここどこだ....、ワタシ何してるんだ...」
今更何言ってるのかという自問自答が頭をよぎる。
いつもならパスタソースも自分で作るのに珍しく美味しそうなヤツ買ったんだった、帰って食べればよかった...、とか、ちょっと思ったりもした。
「ケンカして寂しかったからって勢いでドライブなんてダメだなあ〜、いや違う!自尊心ってやつを獲得するために1人でも強く過ごせるって確かめたくて走り出したんだ!」なんて、だれも聞いちゃいないのに心境を説明したりもした。
車の中って、つくづくパーソナルスペースだ。
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この旅の終盤、『青の洞窟のパスタソース』について伏線が回収されていくので覚えていてほしい。
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急に心細くなってきたけど、雨は容赦ないし、空が明るくなってくれるわけもない。
時間は朝方4時ごろ。
あと2時間もすれば空も白んでくるだろうと、ここから1番近いサービスエリア的なところを目指した。
…ない。
そんなものすぐ近くにない。
悟った、これが現実だ。
というかさっき諏訪湖SAを出たばかりじゃないか。
空が明るくなるまで、目の前の道をひたすら走るしかなかった。
見えてきた文字は「長野県・松本市」。
国道とは、街灯のある大きな道だと思ってたのに。
当時カーナビはついてなかった。
iPadでGoogle Mapを立ち上げてカーナビがわりにしていたから、なんとなくはどこにいるか可視化されている。
特段カーナビアプリを使ってたわけでも、はたまた目的地を設定してナビ機能を利用したわけでもなかった。
画面にある「国道」と書かれた太めの道を選ぶくらいしか見知らぬ道を行くすべはなく、ただなぞるように走った。
道中、山梨だとか長野だとか書かれた標識の文字にシンプルに驚いたのは、GoogleEarthで自由に国内外を旅してた昨今の体験とはまったく別の、自分の目で見る知らない景色のインパクトだった。
自分の目で見るのは、やっぱり楽しいものだ。
長野に入ってまっすぐ伸びる道、今でも脳裏にこびりついてる。今調べればすぐにこの道だと検討つくだろうけど、あの日以来通った道をあえて細かくは調べてない。
秘境だ!と思った感覚を残していたい。なんつって。
ちょうど空も白み始めて、山あいの道は朝っぽさを醸し出す。長野県はもしかしたら小学生の頃だか中学生の頃だか、塾の合宿に来た以来。
朝に見る独特の霧と、ひんやりした空気が懐かしくって、窓を開けて空気を入れ替える。
MINIの中はまだ東京の空気がわずかに残ってたのかな、入れ替えると体がメキメキ目覚めてきた。
と思ったのも束の間、眠気が襲う。
朝6時になろうとしていた。
国道を走ってたはずなのに、というか、ワタシの思う国道というのは「道路の脇に街灯があってびっくりドンキーやらニトリやらがある道」だったのに(偏見)、
何もないどころか、THE山道である。
数時間前にサービスエリアがなんちゃらだとか言ってたのは、とんだ夢であると突きつけられた。
車なのにとぼとぼ走ると、「道の駅」なるものが現れた。
神よ。ここは天空の城でしょうか。
当時のワタシのInstagramが物語っている。
「どこやねん。笑」
確かに。
ようやくワタシは車を停め、東京からほぼ走りっぱなしだった気持ちと車体を休めた。
被っていたハットをハンドルの上に置く。なんだか絵になって、かっこいい。これが旅か。
座席をMAXまでスライドし、背もたれもMAXまでさげた。シートベルトも外す。
しばし、小休憩。
「………ワタシ、なんで長野にいるんだろう。」と思いながら、いったん考えるのをやめて仮眠した。
「道の駅」はあの日、ワタシを休ませるために突然朝靄(もや)のなか現れた幻だったのかもしれないと思えた。んなわけないか。
②につづく。
まるで誰かに呼ばれているかのごとく、気づいたら能登半島に着いた嘘のような本当の話。
能登半島一周の旅で出逢った"能登"の情景美 "の虜” になり、【notorico -ノトリコ-】が生まれた。
旅で出逢った景色たちにインスパイアされて生み出した作品を発表している。
【notorico -ノトリコ-】の作品は、ひとつひとつが手づくり。自分の目で見た能登の自然を再現することにこだわっている。
https://minne.com/@notorico
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