「手放す」ことで見えた、ジブンが大事にしたい価値観。
noteを始めて、早4年が経とうとしてるなんて。
1番最初に書いた記事はいわゆる自己紹介。
「ジブンとは何なのか」について、周囲のイメージをもとに表現していた。
記事の中で、"「いろんなことをしてるイメージだから、いま何をメインに仕事(活動)してるのか分からない」とよく言われる"と書いている。
そしてここ最近のジブンはというと、自身に向かって「何をメインに仕事(活動)してるのか分からないな」と、ふと思ったりしていた。
当時のジブンがそう思っていたのは本心で、「その通り!いろいろやってます!」と開き直っていたのも清々しい気持ちからだった。
だからこそ、2024年を迎えるまでにもいろんなことにチャレンジもしてきたし、興味があることはまずやってみた。やらないと気が済まない性格というのもある。
そして改めて、「ジブンは一体なにが大事なんだろう」と考えるようになった。
ジブンって、一体何者なんだっけ?
コロナ禍でも、メインの仕事は業界的に落ち込むことはなく、ありがたいことにリモートワークで安定して続けてこれた。
そのおかげで副業にもいくつかチャレンジすることができた。
気がつくと、ただでさえいろんなことにチャレンジしてきたジブンなのに、できることを増やしていた。
感覚的には、「増やしてしまった」という方がしっくりくる。
いわゆる「器用貧乏」状態のような、何だかふわふわしたような感覚に陥った。何者にもなれないジブンに、胸が締め付けられた。
ジブンは何になりたいんだろう、まるで迷路の中であっち行ったりこっち行ったりしているよう。
それでもまた、"ジブン"を必死に探そうとしてつい手を動かしてしまう。
完全に、自分探しの迷宮入りを果たしてしまったんだと悟った。
目の前に溢れかえった大切なモノゴトを前に、選択を強いられる感覚が襲う。
ワタシは自身のwebサイトを運営している。
その中で、こんな記事を書いていたことを思い出した。
『そうだ、部屋の片付けをしよう。』
手を動かすにしてもちょっと片付けでもして環境を整えようか、そう思い至ったこの日、ワタシは過去のジブンから改めて大切なことを教わったのだ。
(今となっては「めっちゃ大事なことを認識して記事でもアウトプットしていたはずなのに…何やってたんだ!」って感じではあるけれど、人間は忘れる生き物だし、実践を繰り返して習慣化するまでに時間がかかってしまっても悲観しないことの方が重要だ。)
片付けをすると決めると、普段片付けをしていても何だか不思議とゴミが出てくるものである。
最初にまず、『明らかに捨てていいゴミ』が目に入る。
普通なら、ここで片付けは終わりとなる場合が多い。
でも、この日のジブンは違った。
目の前に広がっているジブンの部屋を見ながら、「本当にここに在るものは全て必要なものなんだろうか」と疑問が湧いた。
慣れきった景観に何の疑いも持たずに過ごしていたけど、リモートワークや副業の時間を過ごすなかで思考を妨げるモノや集中力を欠くものはないか?と考えた。
よく「やるべきことをやるために、まずはやらなくていいことを決めるべし」と言われる。
するとつまり、『ジブンは何者か・何になりたいのか・ジブンが大切にしたいものは何なのかと思い悩むワタシにとってのやらなくていいこと』を決める必要が出てきた。
片付けを始めてすぐにその答えが出た。
ズバリ、『何が大切なのかと思考し続けることに脳のエネルギーを割くこと』・『要るor要らないを選択することに時間を割くこと』、これが不要だ。
片付けを始めたからこそ、気がついた。
それを解決するために、「物理的にも心理的にも、抱えすぎた大切なモノに優先度をつけて手放す」、このステップを避けて通れないんだ!と強く思った。
「いろいろやってます!」と答えられるのは決して悪いわけではないし、多動力なんて言葉も流行ったくらいなのでマルチタスク的に活動するのも武器にはなる。
とはいえ、他でもなくジブンが「何者なんだろう・大事なことってなんだろう」と問いかけている状況においては、一旦フラットになりたかった。
さて、手放すことを決めたが、その途端に襲ったのは「選択するつらさ」だった。
何を残すのかは、何を大切にしていきたいのかという答えに直結する。
何が大事なんだろうと思い悩んでいるさなか、ど直球に「さぁ結論から決めたまえ」と強いられるのである。
でもこれが良かった。
軸にしたい価値観を再確認して、「なりたいジブン」に要らないモノはすべて手放す。
片付けは、「引き寄せの法則」に似ている。
俗に「引き寄せの法則」とは、潜在意識を意図的にマインドセットすることで、現実に成る・現実に起こるようにしようとすること。
細かく言えば、習慣化が必要だったり、潜在意識を顕在意識に反映させるコツなんかもあるけど。
(・・・・・「引き寄せの法則」についても記事でばっちりアウトプットしてるやないかい、とジブンにツッコミを入れた。)
簡単に言えば、最初に達成したい状態をマインドセットしてしまえば、必然的に人間はその理想と今とのギャップを埋めるように行動してゆくものだよね、という感じ。
「何者なんだろう・大事なことってなんだろう」と考えてしまったワタシはまず、「物理的にも心理的にも、抱えすぎた大切なモノに優先度をつけて手放す」ことが最優先とわかった時点で、「物理的にも心理的にも、抱えすぎた大切なモノに優先度をつけて手放しました」とマインドセットした。
*悩みや課題を達成系に言い換えるだけでマインドセットができる
行き着いたのは、シンプリスト。
こうなったらもう、やることはシンプルだった。
リモートワーク中に視界がごちゃごちゃすると集中力が下がるから、色が強いものはデスク周りから無くそう
そういえば朝いつも服を選ぶのに時間が掛かってるのも地味に負担だし、着心地の悪い服がないか整理して捨てるかリサイクルに出そう
ずっと大事にしてきたCDやBlu-ray、サブスクで聴けるし観れるしモノとして持ってなくてもいいからブックオフに売ろう
当たり前だった環境を前に「本当にこれはこのままでいいのか」と問いただしながら、気がつけば夢中で断捨離をしていた。
手放すと聞くと「ミニマリスト」が思い浮かぶかもしれない。
最低限の物で暮らすことに重きをおく「ミニマリスト」の一方で、物の数を極少数にとどめるというよりは『シンプル化する』ことに重きをおいている「シンプリスト」という人たちがいる。
どちらにも共通しているのは、「大事なものを選び大事なものを尊ぶこと」。
決して、捨てることや手放すことが目的ではなくて、ジブンにとって大事なモノを把握しているうえで選び抜かれたモノを大切にすることが本質。
ワタシの場合は「シンプリスト」がふさわしい。
そうありたいと思った。
これまでの人生で、多様に好奇心を持てるジブンのことは好きだし、これからもやりたいことはやってみる生き方を選びたい。
だからこそ、チャレンジできる時間はできるだけ確保したいし、そのために生活の中でジャッジに脳のエネルギーも時間も割きたくない。
そのために、ワタシも手放す時がやってきたんだ。
手放すか迷ったときも、「またこうやって選択することに時間を奪われていいの?」と必ず繰り返し自問自答した。
過去に記事にしてアウトプットしたジブンでさえ、時間が経てば慣れてしまい、選択する苦しみから逃れたくて「いつかまた使うかも・今はペンディングしておこう」と決断を先延ばしにした結果、2024年になってまた同じ悩みを抱えたわけだ。
もう同じことで悩みたくない。
だから、片付けをしようと決めたその日から、毎朝オーディオブックでミニマリストの概念を耳からインプットしたり、毎日ノートに<課題・理想・理想が叶ったときの感情・理想を叶えるための行動>を書き記した。
リモートワーク中も常にオーディオブックやYouTubeの本要約を聞きながら、意思決定を忘れまいと心掛けた。
そうやって約1週間、かなりのモノと凝り固まった思考を手放した。
人間面白いもので、習慣化してしまえばやらない方が気持ち悪くなってくる。
片付けをしてすぐに気がついたのは、「今やりたいことにチャレンジしているジブンがジブン・大事なことは今のジブンが幸せだと思える気持ち」だった。
なんだ、何者でもないじゃん、何者でもなくジブンはジブンじゃんかと、手放しながらジブンに話しかけているわけである。
なんだよこのオチはと思うかもしれないけど、膨大な物理的なモノと混沌とした思考に溺れている中で「何者でもない」と思っていた頃とは全く違う結論の「何者でもない」なのだ。
ワタシはワタシの価値観を知っている、そう思えれば、もし仮にまた何かに悩んでも大切なコトに立ち戻りやすい。
数年前に悩んでたジブンも、ここ最近悩んでいた自分も、結局は大して変わっていないと気がついた。
たぶんまた悩む日がやってくるけど、価値観がわかっていれば、またその時に取捨選択して大事なモノを残している姿が目に浮かぶ。
それでいいんだ。
今も、手放すことを繰り返している。
選択する苦しみをまた背負わないように、しっかり考えて、不要なモノゴトを増やさないようにと気を張っている。
なんだそれだけのことかと、そっと胸を撫で下ろしている。
これからも、「今やりたいこと」に嘘をつかずに夢中になれるように、不要なものは手放す勇気を持っていたい。
〜服・本・CD/Blu-ray・ガラクタ、たくさん手放して1週間で約10万円も臨時収入が入ってしまった。これを投資に回すのだ。〜
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