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中3春の時点で偏差値約30の私が、偏差値約50の専門高校(就職校)に合格した大逆転の話。

どうも、川原です。今回は私の人生のハイライトと言っても過言ではない、高校受験の出来事です。タイトル通り、本来ヤバイ偏差値だった私が、第一志望である偏差値50程度の高校に合格した体験談です。
人間、やれば何とかなることもあるんですねー(遠い目)

1.川原が第一志望を決め、学校の三者面談で自分の頭のレベルを思い知る。

中学時代の川原の学力はいかがなものだったのか。一言で表すと
落ちこぼれ
でしたw(実際は笑えない)
そもそも私が何故落ちこぼれていたのかなんですが、中学1年生の時から色んな要因で心病んでしまい、学校に登校することで精一杯で勉強に専念する心の余裕が無かったのが一番の原因でした。
そのため、定期テストでは5教科の合計点数が250点もない(下手すりゃ200点を切る時もあった)ぐらい、頭が悪かったです。
私が中学生の時、平成のご時世のせいかは分かりませんが学校内の治安は悪く、生徒は荒れに荒れており、在学している時に
「高校は少しでも治安の良い所にせねば」
という気持ちでいっぱいでした。

中学3年生の春、いよいよ志望校を決める時が来た。私は志望校をどこにするか悩みに悩みまくってました。何故なら私は頭が悪いので、志望校を選ぼうにも選択肢が狭すぎて行きたい高校がなかなか決まらなかったのです。
「アホの私でも、もしかしたらワンチャンあるかも?」と博打のような感覚で私は第一志望を決めました。その第一志望の高校を「K高」と仮称しましょう。
K高は私の地元にある公立の専門高校(要するに就職校)で、偏差値はそんなに低くも高くもないが就職校のため教師は厳しく、生徒の評判も良かった。K高なら生徒の質も良く、心穏やかに暮らせるだろうと踏んで決めたのです。

担任と母を交えた中3初の三者面談で、担任に「川原、第一志望は決めたか?」と訊かれたので
私「K高校に行きたいです」
と宣言した。すると担任の表情が曇り、渋い顔でこう返ってきた。
担「川原……お前K高無理だと思うぞ。日頃から5教科の合計が250もないじゃないか。K高行きたいなら、300ぐらいは余裕で取れてないと受からんぞ
そう、中学生の川原、学業だけでなく世間知らずという意味でもおバカだった。K高の学力レベルをちゃんと把握していなかったのです。
三者面談の帰り、私は自分のバカさ加減に絶望感でいっぱいになりました。

2.塾に通えないので独学で受験勉強をする(春〜秋まで)

川原が頭が悪い理由にはその2がありまして。それは
塾の類に全く通ったことがない
です。
同級生の大多数は、高校受験に備えて中2あたりから塾に通ったり家庭教師を付けたりしていたのですが、川原家はドが付く程の貧乏だったので塾どころか習い事の類を一切やったことがなかったのです。
我が家の経済状況は自分がよく分かっていたので、
「とにかく自分で勉強するしかない」
と決意し、秋頃まで独学で受験勉強をしていました。
ここで、大概の方なら想像が付くと思います。
「日頃から勉強できてない奴が独学できるわけないだろ」
そう、私は誰もが容易に想像できる致命的なミスを、平然と冒していたのです。
案の定、勉強の内容がほぼ理解できず(主に理数)、春から秋にかけての時間を無駄にしてしまいました。

3.親に頼み込んで塾の冬季講習(期間は2週間)に通わせてもらう。

独学に限界を感じ八方塞がりになった私は、とうとう親に
私「塾に通わせて下さい」
とお願いをしました。そこで父親と何やらあったのですが(何があったかは割愛)、すったもんだの挙句、当時の友人に紹介された塾の冬季講習に通わせてもらえることになりました。
冬季講習の申し込みに行った際、塾の社長さんと母を交えての三者面談がありました。社長さんは私の成績をご覧になり、色々と質問をされたのですがそこで
社「川原さん、第一志望はどこですか?」
と訊かれたので
私「K高です……」
恐る恐るそう返事をすると、所長さんの表情は明らかに死んでましたw(全く笑えない)
しかし、所長さんは
社「分かりました。私どもで、できる限りのことを川原さんにさせていただきます」
私と母にそう言い、なんと川原の入塾を受け入れてくれたのです(感謝しかない)

4.スパルタ冬季講習を受ける(冬休みなど無いに等しい)

期間限定とはいえ、入塾した以上甘えは一切通用しません。
地獄が待ってました\(^o^)/
お世話になった塾は個人経営で規模は小さかったのですが、社長さんが非常に優秀で尚且つ厳しい方で、アルバイトの講師の皆さんも素晴らしい難関大学に通われてまして。そんなハイレベルな方々が在籍されているので、指導はとても厳しかったです(授業態度はもちろん、正当な理由なく1日でも宿題をしなかったらキツイお叱りが待っている等)
頭がポンコツすぎる川原、かなり場違いでした。お情けで入れてもらっていながら後悔するとは……当時の自分の恩知らずさに殴りたくなります(^_^;)
真剣に、序盤社長さんや講師の方の指導にほとんどついて行けなかったのです。他の生徒さんが当たり前のように分かっていることが、中3の12月時点で分かっていない。入塾した当初、自分の頭の悪さに酷く絶望しました。塾を辞めようかと思った時もありました。
しかし、社長さんを始め講師の方々、そんな私を見放すことは一切なかったです。私が他の生徒と同じようにできない、何度も間違ったり理解できていなくても、怒り出したりするどころかむしろ懇切丁寧に何回も説明・指導してくれました。皆さん、本当に優しくて良い方でした。
特に社長さん、川原をK高に合格させるためにこんなアドバイスをしてくれました。

①川原は文系なので、国語・英語・社会の3教科を重点的に鍛えて合計点数を稼ぐ。
②数学・理科はどう頑張っても壊滅的なので、受験の際は捨てるつもりでいること(時間内に分かる箇所だけ記入するくらいの気持ち)
③英語の文章記述問題は変に小難しい単語を使うな。簡単な単語と文法で確実に点数を取る。
④国語の小論文と英語のリスニングは何が題材になるか予想が付かないので、過去問等から色んな題材を勉強してあらゆるジャンルに対応できるようにする。試験当日分からなければ諦めろ(半ば博打状態)
⑤絶対焦るな。分からない問題は焦らず飛ばすこと。

上記5点は、社長さんが私の特性を踏まえた上で考えてくれた受験の戦略でした。

塾のスタッフの方の誠意に応えるため、必死で教えを乞い厳しい指導に耐えました。そして年が明け、何とか2週間の冬季講習を終えることができました。講習最終日、社長さんや講師の皆さんがこう仰ってくれました。
「川原さん、1日も休まず本当によく頑張りましたね。K高合格するよう、健闘を祈ってます」
そう言って、笑顔で私を送り出してくれました。なんだかんだで私は冬季講習を何とか乗り切ったのです。

5.受験までの残り1ヶ月少し、大勢の人の力を借りて自分との戦いを繰り広げる。

冬季講習を乗り切ってからその後、私は一体どうしていたのか。

①受験当日までの独学期間、進学校を受験するようなレベルの同級生や質問しやすい先生等、何とか頼れる人に分からない部分を教えてもらえるよう片っ端から頼み込む。
②学校が休みの土日は、市がやっている図書館の自習室に朝から夕方までこもって勉強する。

この2点を徹底していました。特に幸いだったのは、学区内でハイレベルの高校を受験するハイスペ女子がお友達が数人いて、その友達がとても親切で自分も受験を控えているのに私の勉強を教えてくれました(感謝で泣きそう)
後は学校に週1で来ていたスクールカウンセラーさん(某国立大学院卒)に放課後勉強を教わりに出向いたり、質問しやすい教師を捕まえて質問攻めにしたりと、たくさんの方が私の受験に協力してくださいました。

そして図書館での自習。
私は根性無しなので自習が大嫌いです(致命的)なので、
強制的に集中する環境を作る!
ということで、学校が休みの土日は図書館が無料開放している自習室に、開館から閉館までずっとこもって受験勉強をしていました。
家で勉強すると漫画やテレビ等、どうしても気が散ってしまうので、
「集中せざるを得ない環境」
をわざと作りました。
その代わり、図書館で勉強した日は家では一切勉強をしなかったです。自分なりに、勉強のオンオフを作っていました。この仕事や勉強のオンオフ癖は、今でも染み付いてます。オンオフ付けるって結構大事だなーとこの時学びました。

6.悪戦苦闘の末、第一志望のK高に合格した(結果オーライ?)

2月某日、大阪府の公立高校前期入試(要するに専門高校だけの入試)でした。当時のK高の倍率は、2倍近く(1.8ぐらい?)だったと思います(新聞に載っていたデータですが)

受験当日の川原、案の定緊張で答案用紙に記入する手が震えるレベルでメンタルがヤバかったです(激弱豆腐メンタル炸裂)
不安でいっぱいで、問題を解けている手応えがどの教科でも全く感じられなかったのです。受験を終えた帰り道
「これは落ちてるだろ」
と絶望感に苛まれて自転車で帰路についてました(中学生の段階でネガティブにも程がある)

しかし、奇跡が起きたのか。
合格しました(何だと)
担任に「K高は絶望的」と言われていた川原が、K高に合格したのです。
合格者発表の瞬間、受験番号を張り出した掲示板に自分の番号があったことに、私は自分の目を疑いました。見間違いかと思い何度も目視で確認したが、間違いなく自分の番号が記載されていました。
この瞬間、私は初めて
「努力って報われるのか」
と日々の努力の大切さを噛み締めました。そして、私が合格に至るまでにたくさんの方が手助けをしてくれたことに、感謝の気持ちでいっぱいでした。

7.最後、高校受験を通して思ったこと。

K高に合格できた件について、色んな人が
「川原さんが努力したから」
とお褒めの言葉を頂いたのですが、私はそれは違うと今でも思ってます。
「周囲の方の手助けが、私を合格に導いてくれた。色んな人の手助けや協力があったからこその、合格だった」
私は心底そう思いました。私一人の力では絶対に合格できなかった。
「人は一人では生きていけない」
私は高校受験を通して、勉強だけでなく相互扶助の精神も学べたと思っています。
大変貴重な経験でした。

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