「永遠て誰も見たこともないし本当にあるかも分からないのに言葉があるの凄い」って何かで見た。


このワードはテレビかラジオで聞いたのか、ネットかSNSで見かけたのか、聞いたその時は「あ〜確かに」と思っただけの薄い感想。
それから数日して頭の中にフッと「永遠」のワードが舞い戻ってきました。

永遠、永遠、、永遠、、、あるっしょ。
いやいやないか、ないな。
確かにあの頃、誓った永遠は既に無い。
これから誓える永遠も無いか。
永遠?いつを持ってなんだ?
ある意味、今この瞬間は永遠の終わりなのかも?
いや終わっとるがな。永遠ちゃうがな。

気軽に、特に若い頃に夢を見たり愛だの恋だの語っていた頃に「永遠」と言う言葉を使いがちでしたけど、考えてみたら永遠なんて誰も見たことはないし本当にあるのかも分かりませんね。
突き詰めて考えたら、どこの区切りを持って永遠と言うのか。そもそも区切りがないから永遠な筈。

つまり「永遠」は架空の存在なのか。
河童やペガサスなどの架空の生物寄りの存在。
嘘か妄想か作り話か夢や理想なのか、もしかしたら本当なのかもしれない架空の存在。
まぁでもそんなロマンがある存在。
誰が考えたのか知りませんが最初に「永遠」を考えた人はきっとロマンチックかテンション上がり過ぎてた人な気がする。

そんなことを頭で考える様になった私もご多分に漏れず若かりし頃に冗談じゃなく永遠を意識したことがあり、二つの瞬間を今でもはっきり覚えている。

永遠を意識した一つ目の瞬間

一つ目は高校を卒業して数年ブラブラしていた頃。
比喩じゃなく週10くらい会っていた地元の友達達と冬の寒い日に溜まり場になっていた友達の家でコタツに入ってお酒を呑みながら特に何の意味もない会話で朝から晩までその次の朝まで笑い合っていられた頃。

ふとした瞬間に「あぁこいつらとは永遠にこんな感じで仲良く一緒にいるんだろうな」と頭に浮かんできた。

そんな事を口にするのも恥ずかしいくらいリアリティのある仲の良さ。
口にしても冗談にならないくらい物理的な時間を過ごして信頼関係が出来上がっていた間柄。
願うわけでも欲したわけでもなく、勝手に永遠は既に始まっていると感じた瞬間。

この永遠は私自身の手で幕を下ろしてしまう。
もしかしたらこの永遠は守ろうと思えば、少し形を変えながら守れたのかもしれないなと今になっては思う。

ブラブラしていた日常から夢を叶える為に上京。一人、東京へと旅立った20歳の頃。
その時も友達は気持ち良く送り出してくれたし、東京へ行って物理的な距離が出来ても関係性が変わるとは当時は想像すら出来なかった。
今でも会った瞬間に大好きな気持ちと信頼がスッと蘇って当時の関係性に一瞬で戻るし、あの頃と変わらず物凄く大切な存在。
でも永遠を感じたあの瞬間の様にダラダラした日常を永遠に一緒に過ごすことはもう出来ない。
最近ではお互い歳を取り、忙しい日々の隙間で時間を見つけて会っている。
あの瞬間を永遠と勘違いはしたけれど、永遠なのかは分からないけど少なくとも多分死ぬまでは大好きな相手。これで良いんだ。良かったんだ。

一つだけ確かに永遠なのは、あんなダラダラしてて何でもないのに最高だったあんな時間はもうやってこないと言うこと。

永遠を願った二つ目の瞬間

二つ目は上京して数年経った、とある夜。
その数日前に地元の初恋の相手も上京してるらしいと聞きつけて連絡をしてみたらトントン拍子に話が進み、二人で飲みに行くことに。

そりゃあもう儚く散った初恋の相手ですから飲みの約束が出来ただけで有頂天。
テンション上がり過ぎて、そのままプロポーズしそうな勢い。

そりゃあ彼女だって知り合いの多くない東京で一人戦っている身。
地元の知り合いから連絡がくれば男と女とは言え深い意味なくOKしますよね。

確か彼女の仕事終わりの20時頃から飲み始めて近況、思い出話、なんだかんだと話して酔いも深まってきた頃に想いが強すぎて頭で考える前に口から出ていました。

「今のこの瞬間が止まって永遠になればいいのに」

きしょいなぁと客観的に振り返れば思うけど、それでも止められない溢れるほどの想いがあったんです。
そして彼女と会ったのは、それっきり。
私は私で家庭を持ち、噂で彼女も東京で家庭を持って宜しく生きているそうだ。

あの瞬間は永遠には続かなかった。
ただ一つ確かなのは、初恋の延長にあったあの恋心は永遠叶うことは無いということ。

知ってしまった永遠の正体。

大人になった私は今ある幸せも永遠ではないことを知ってしまっている。
永遠ではない有限の幸せを永遠にと願いながら噛み締めながら生きていくしか出来ない。

永遠に。

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