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【連載】“クソったれ”な日本の教育#9:学校が生き残る可能性

「【連載】“クソったれ”な日本の教育」は、教育者である私が日本の学校教育に物申すコラムシリーズです。教育者から見える日本の学校教育が、どれほど“クソったれ”かを、怒りと皮肉たっぷりでお送りします。

前回の記事はこちら。
https://note.com/ikes822/n/n2186670a5358

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オーストリア出身の哲学者/歴史学者、イヴァン・イリッチをご存知だろうか。1926年ウイーン生まれ、ニューヨークでカトリック助任司祭を経てプエルト・リコ、カトリック大学副学長を勤めた後、メキシコに国立文化センター設立し、社会制度に関するセミナーを積極的に行った。教育者の間では度々参照される研究者であるが、彼の大著が『脱学校の社会』(原書名:Deschooling Society, 1970)である。

私が本書を初めて手に取ったのは、忘れもしない1994年。大学院修了後赴任した高校の生徒が全く言うことを聞かず、「学校って一体何だ?」と無力感にかられて思わず手に取った。当時はあまりに忙しくしっかり読み込むことができなかったが、イリッチ独特の発想は今日に至るまで頭の片隅に残っていた。そして今回、改めて腰を落ち着けて彼の発想に真剣に向き合ってみた。

本の内容は極めて単純である。学校を無くせ。ただこれだけだ。一見突拍子もないこの「脱学校論」は、しかし読めば読むほど、現代日本の教育を痛烈に批判していることがわかる。50年前に出版された本にもかかわらず、この本が生きた主張として現代の我々に刺さるのは、この50年で教育というものが何一つ変わっていない、むしろ後退しているからなのではないか。だからこそ、イリッチの展開する脱学校化された教育は、新鮮なものとして我々の目に映るのだ。

何かの「プロ」であること

改めて、イリッチは恐らく本気で学校が無くなると思ってこの本を書いていない。もちろん理念としての素晴らしさがそこにはあるが、学校を無くすことが、一個の教育改革として行われる可能性はゼロに近い。むしろ彼が志向する社会は、①革命によってもたらされるか、②数十年数百年という歳月をかけて徐々に達成されるものであろう。

そこで今我々が考えなければならないことは、現実として学校が残ることがもっともらしい以上、学校の教師には何が出来るのかということである。

それに対する一つの答えは、何かの「プロ」であるということだ。

私自身を例に取る。肩書は大学教授、つまりProfessorなわけだが、では自分は何の「Proプロ」なのかと問われると頭を抱える。公開されている専門分野は、異文化コミュニケーションや言語学習動機づけ。その分野で研究・教育活動に携わってきたことは間違いないが、自己認識として「Proプロ」とは程遠く、それが悩みの種であった。しかし、ここ数年の活動を通じて、「もしかすると私はある意味プロかもしれない」と思えるようになってきた。では何のプロか、「ネットワーキングのプロ」である。

(連載の第7回でも言及したが)現在、ゼミでSDGsと多文化共生を主軸とした講演会を主催しており、様々な講師をそこに招いている。外務省やJICA、AAEE,一般社団法人アジア教育交流研究機構、そして本務校東京経済大学からの後援を受け、第一線で活躍する講師の方、大学の学長、ゼミ生、他大学の学生、社会人などが集まっている。これほどのこと——20年前の私には到底出来なかったこと——を今、私は何か当然の教育活動として行っているが、改めて考えればこれは「プロ」の仕事と言っても差し支えないように感じる。少なくとも私は、「ネットワークを作り上げるプロ」と言えるだろう。


イリッチの脱学校論の中では、学校の児童・生徒・学生はほとんど宗教的に学校という組織に回収される、思考停止の存在として描かれている。やれと言われたことを繰り返し、学校という枠組みの中で堂々巡りをしているのだ。

一方で、私の主体的ネットワーキングの結果、「SDGsと多文化共生」という言葉をキーワードに集まった上記の人々は、各々が興味関心を持ち寄ってきている。無論ゼミ主催である以上、これが学校という枠組みでの取り組みにすぎないのは確かだが、しかしここに集まる人々は、イリッチが学校のオルタナティブとして描いていたフリースクール的発想とほとんど同じである。

つまり、「とあるキーワードの下に、それに興味関心のある人が誰でも集まり、自由に学びに参加する」というイリッチの脱学校の社会の姿が、ここに疑似的に実現されているというわけである。

学校が生き残るには

私の本務校の学長は70歳を超えてもなお、毎度夜7時からの講演会に参加してくださる。すなわち学長ご自身が、衰えることのない知識欲を存分に追い求める「プロ」だからこそ、こうした学外にも開かれた講演会を公に認めてくださるのだ。

そのように考えるならば、こうした人が学校空間にいるということは、「学校制度」にとって救いであろう。

既存の「学校」という場を積極的に改変し、オープン化していこうとする姿勢がある限り、「学校」もむしろ捨てたものではないかもしれない。


イリッチは次のように述べる。

「最も根本的に学校にとって代わるものは、一人一人に、現在自分が関心をもっている事柄について、同じ関心からそれについての学習意欲をもっている他の人々と共同で考えるための機会を、平等に与えるようなサービス網といったものであろう。」(Illich 1971=1977: 44)

このサービス網に含まれるのは、次の三つだろう。まず、興味関心のネットワークを創ろうとする教育者。次に、単位のためではなく、知識欲のある人や、人生をより良くしたいと願う人が平等に集まれる場所。そして、それら全てを支える社会である。

これらを達成しようと、「学校」が自身を改変させていく限り、「学校」には生き残る道がある。それはいばらの道ではあるが、講演会というネットワーク空間には、一筋の希望が垣間見える、と私は思う。

内発的に教えたい人と、自発的に学びたい人、それらを積極的に支援しようとする学校。これがあるべき学校教育の姿ではないだろうか。

学習者主体

ところでこうした、自発的、偶発的な学びと共によく語られるのが、「学習者主体」という言葉である。イリッチの言うサービス網もいわば、「学習者主体」的空間であるだろう。

しかし、ここで多くの学生が勘違いすることがある。彼らは「学習者主体」と聞くと、「先生は手を出すな」「学習者主体なら関わるのは学生だけだ」と言う。ところがこれは「学習者主体」という言葉の意味を大きく取り違えているのだ。学習者というのは、学んで成長していく存在であって、水も光もなしに成長する植物などいないように、適切な教育者なしには成長しないのである。

つまり、「学習者主体」とは、「先生がいない」という状況を指すのではなく、教える側が支援者として学習者と上手く関わっていくことである。「学習者主体」の場では、教える側はまず、自身が支援者であることを学習者に理解させないといけないし、学習者は自らが先人から学びを乞う存在であることを自覚しながら、主体的に学びを進めていかなければならないのだ。

まとめ

少々話は逸れたが、大学のイベントに学外生を迎えるという自由な雰囲気と、それを支援する教師や学校の存在、あるいはイベントの広報を担っている事務局の方々など、様々なアクターが関わることで講演会は成り立っている。

自分がなぜこの大学にいるのか、という理由がここにあると思う。つまり、脱学校論に賛同する私でさえも残したいと思う、素晴らしい環境がここにはある。

学校制度が現実的に続く以上、「学校」という枠組みの中でも、イリッチの議論を踏まえながら、良い学校教育を創っていくしかない。この大学は少なからずそれを実行しているし、絶望だらけの教育現場に小さな光をもたらしている。

私はこの現場が、次世代の教育のヒントになると信じている。

編集:関昭典、永島郁哉

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