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クリスマスイブに香川1区に行った話

ポレポレの思い出
東中野にある高校に通っていた。
友人を作れず学校でほぼ口をきかない私を、担任でもないのに気にかけてくれる先生がいて、学校近くのミニシアター「ポレポレ東中野」には、何度かその先生に連れられて来た。

苦痛だった。
人権とか戦争とかの重々しいテーマの映画を、教師と、自分のように友人の少ない同級生数人と共に鑑賞し、その後すぐに1階にあるカフェで感想を述べねばならなかった。
先生のおごってくれるオーガニックの人参ジュースは、子どもが人参を嫌う理由になり得る部分だけを、丁寧により分けて敢えて凝縮させたようなアクの強い味で、吐きそうになりながら息を止めて一気に飲み干した。飲み干すたびに好物なのだと思われて、毎回人参ジュースをおごってくれた。
行きたくもない人たちと観たくもない映画を見て話したくもない感想を飲みたくもないジュースを飲みながら話す時間は、本当に辛かった。
きっと今観たら興味深い映画ばかりで、人参ジュースも美味しいのだろうな。子どもって幼くてもったいない。あの時間をもっと大切にできていれば、今よりいくぶんマシな人間になっていたのかもしれない。

2021年のクリスマスイブ、そんなポレポレ東中野に数十年ぶりに行った。
あれ?そういえば当時はポレポレ座って名前じゃなかったかな?先生はいつも、放課後ポレポレ座行くから空けとけよ、とか言ってた気がするな、なんて思いながら、トイレで用を足しているまっただ中、突然背後から肩を叩かれた。
え、なに?誰?まさか先生?と振り返ると、そこには、衆議院議員・立憲民主党政調会長の小川淳也さんがいた。
「こんにちは〜。香川も有楽町もありがとうね!」と、驚異的な気さくさで話しかけてくれながらトイレの個室に入って行かれ、ドアを閉めてからもなお「元気にしてましたか?監督が初日に観に来いって言うから来たんだよ。」と、個室の壁越しに外にいる自分に話しかけて来られた。
この、「話しかけて来られた」には、数度会っただけの人間を覚えていてくれて話しかけてくださる度量の広さを敬う気持ちと、いやおしっこ中の人間に、他の人もいる公衆のトイレで普通話しかけなくない?迷惑だなあ、の両方が丁度半々こめられている。

そう、この日は小川淳也さんの17年に渡る活動を追ったドキュメンタリー映画「なぜ君は総理大臣になれないのか」の続編にあたり、今年の総選挙期間の香川1区の様子を詳細に収めた「香川1区」の先行上映初日だったのだ。

映画の中で
「自分では至って常識人だと思っているんだが、いつの間にか変わっていると言われるようになってしまった」と、ぼやきながら讃岐うどんをすするワンシーンがあり、ご自身がふんだんに映っているドキュメンタリー映画上映前の映画館のトイレで、個室の中から一支持者に話しかけて来る感じ、いや、やっぱりめちゃくちゃ変わってると思いますよ、と思った。

けれどもそんな、上も下も距離も壁も感じさせない部分こそが小川淳也さんの魅力であり、この人なら市井の人の声まで掬い上げて、政治を変えて行ってくれるのではないかと思わせる要因であるから、どんなに権力を持ったとしても変わらないでほしいし、変わらないように応援し続けようと思えるんだな。と、改めて思った。

市民運動がこわい
10年前、東日本大震災のすぐ後に今の仕事に就くことができた。
当時、職場のあった東新宿ではヘイトスピーチが盛んに行われていていた。聞くに耐えない暴言がメガフォンを通してがなられ、書き起こす気も起きないようなフレーズの書かれたプラカードを掲げた人々が車道を占拠して行進をしていた。
「デモ」=「怖くて迷惑な行動」という印象がこの時深く心に残ってしまった。
もちろん、このヘイトスピーチは、多数が少数をおとしめようとする悪質な行為であり、本来市民運動は自分達の主義主張のために権力に訴えかける手段であるということや、少数が多数の数の暴力に対抗しうる手段であるということは理解できてはいる。でもそれにしたって、関係ない人に迷惑かけてまで自分らの主義主張のために大声出して行進するのは良くないよ。と強く心に刻まれてしまった。

それから10年、政治に関心のない生活を送り続けているうちに、テレビドラマで描かれる政治や権力の腐敗なんてかわいいもの。だって最後は概ね正義が勝ってスッキリするんだから。と思えるほど、現実がフィクションを追い越す、ひどい有様なってしまった。

国会がおかしい
コロナがもたらした生活の変化で自分にとっては良かったことは、実はいくつもある。そのひとつは、一日往復4時間の通勤時間を違うことに使えるようになった点だ。
今まで家にいなかった時間にテレビを見られるので、国会中継を見るようになった。
こんなにまっとうな答弁をしていないのか。
こんなに自分の言葉で話すことができないのか。
こんなにがっつり、はばかることなく居眠りするのか。
こんなに真剣な質問者を嘲笑することで、真っ当なのはこちらですよ、みたいな空気を作るのか。
こんなに、むしろ楽な体勢を取るためではなく、偉そうに見せるためだけに努力してきつい体勢とってるんじゃないか、って思うくらいふんぞり返って座っているのか。
すべて与党のことである。

けど国会は楽しい
上手な野党の質疑は、半沢直樹やドクターXのような、少数の側が圧倒的多数に立ち向かい打ち勝つ、人気ドラマのような興奮を味あわせてくれる。
小池晃さんや山添拓さん田村智子さんのような、デフォルトで怒気を含んでいなくて、糺すべき論点が明確な質疑はとても気持ちが良い。
ただ現実はフィクションのようには行かず、のらりくらりとかわされ続け、いや、かわされるならまだよい方で、正しい答弁を受けて、とんでもなくたじろいで答えられなかったとしても、結果なかったことやすでに終わったことにされることばかりだ。
それでも、動揺して混乱して間違えて官僚のカンペを待つ様を見ることができるだけでも、どちらが信用に足る政治をしてくれるかは明確に判断できるようになる。
そうして国会の質疑動画を漁っているとすぐに、小川淳也さんの統計不正問題の質疑にたどり着いた。
2019年に明るみに出たこの問題自体、まったく何も知らなかったが、小川さんの説明はわかりやすく、問題に関して与党を糺すだけでなく、一見わかりにくいこの問題の要点を、国民にも丁寧に説明しようという気配が感じられた。
よくニュースで見る立憲民主党の有名議員たちと比べたらずいぶん穏やかではあったが、それでも小川さんも少し怖かった。実際不正に怒っていたであろうし、立憲民主党の伝統的な答弁のスタイルなのかなとも思ったが、やはり人の怒気を含んだ声はなるべく聞きたくない。

なぜ君は総理大臣になれないのか
この数年でサブスクの発展がもたらした劇的な時間とお金と手間の削減もコロナ禍の生活を支えてくれた。
新作のレンタル日にTSUTAYA行って、え、もう全部借りられてる!すみません。まだ返ってきてるのないですよね?そうですね今日レンタル開始ですからね。そうですよねー。なんて会話を店員さんとして、また次の日もTSUTAYA行ったりしなくてもいいのだ。
今までなら選択肢から外していたような映像や音楽も気軽に試すことができるようになった。
「なぜ君は総理大臣になれないのか」も、きちんと説明も読まぬまま、めちゃくちゃ若い候補の血気盛んなドキュメンタリーなのかな?と思い、NETFLIXで流し見するくらいの気持ちで選んだ。
観始めてようやく、あ、統計不正質疑のあの人!と気づいた。
面白くて気づけば真剣に観ていたし、井手英策さんのスピーチで泣いたし、とても魅力的な人間性の人だなあと思ったけれど、この時点では、そうだよなあ、こんな人総理大臣にはなれないだろうなあ。と思った。
ただ、ものすごい違和感が残った。
ここで言う「こんな人」とは、小川さんが選挙ポスターにも掲げている「公平、誠実、実直に。」という人である。
政治家が掲げる言葉としては至極平凡に感じてしまうはずのこの言葉だが、自分だけでなくきっと多くの日本人が、政治家が「公平で誠実で実直」なわけがないと思い込んでしまっている気がする。そしてそんな人は総理大臣になれないなんて気がしてしまう。
政治家として当たり前すぎる理念のはずなのに、そんな人は政治家にいないとも思えてしまう。なんなんだこの矛盾は。
小川淳也という人が本当に「公平・誠実・実直」なのかはわからないけれど、少なくとも映像でそう見えた人に対して、こんな人は総理大臣になれないよねと冷笑に近い感想を持ってしまった自分の感覚の方がおかしいのだと思った。
それでYouTubeでの対談や、有権者からの質問に答えていく動画を見るようになった。見れば見るほど、ドキュメンタリーったってある程度脚色されてるんでしょ?という思いを軽々超えてくる「公平・誠実・実直」ぶりがうかがえた。
別にたくさんの政治家のことを見ているわけでも知っている訳でもないけれど、少なくとも国会でふんぞり返って記者に威圧的な会見をするような政治家ではなく、こういう人に政治を任せたい。そう思えるようになった。

参加した香川1区

そんな折、総選挙の出陣式を、小川淳也の出陣式と言えば井手英策!と、エンタメ気分で見た結果、そのスピーチに心のど真ん中を撃ち抜かれた。
コロナ〜オリンピックを経て、いやもうほんとにまじで政治をどうにかしないとな、と思っていた矢先に、


こんな社会を作ったのは誰か。自民党でもない特定の政治家でもない。
私たちだ。私たちが自民党を勝たせ、こんな社会を作っている。
その責任は政治家だけじゃない、我々にもある。


と言われてしまった。
小川さんが勝たなきゃ日本はダメだ!まずはそこからだ!という思いが昂まりすぎて、自分の投票できる選挙区でもないのに香川まで応援に行った。

実際にお会いした小川さんは、ドキュメンタリーなんて良いように描かれていると思っていたのをYouTubeを見て軽々超えたのを更に上回ってくる「公平・誠実・実直」さだった。
もちろん全部で1時間にも満たない時間しかお話ししたことはないから、有権者に見せる最も感じの良い外ヅラしか知る由もない。
けれど「公平・誠実・実直」に見えるような素振りすら見せない、マリーアントワネット然とした政治家の多い中、こんなに真摯に人の話を聞いてくれる政治家がいるのだということに感動した。
そして小川さんを周りで支える人々の、選挙を楽しむ誰にでも開かれた空気と、政治を、日本を、小川さんと一緒に変えていくぞ、という熱気に圧倒された。周りに集まる人々を見てもやはりご本人が「公平誠実実直」だからこそ、この集団が形成されるのだろうなと感じた。
そんな香川1区での体験は、以下4回にまとめて書いたのでよかったら読んでみてほしいです。長くてすみません。

鑑賞した香川1区
そして自分が長々書いたことは、映画「香川1区」にドキュメンタリーとして克明に記録されていた。
そしてそこには自分の見た外ヅラ以外の、怒ったり、謝ったり、弱気になったり、ウンウンと話を聞いているけど納得していなそうだったりする小川さんも映されていた。
どの場面のどの小川さんも、カメラを向けられている以上もちろんある程度外ヅラなはずだ。
ただ、政治ジャーナリスト、同じ党の先輩議員、大島監督と、同じ問題について話す際、相手がどの立場の人であっても、一貫して自分はここが正しいと思うからこう動くと説明していて、都度反省すべき点は反省していた。これは映画には映されていない対話集会で、一般市民から同じ質問された時でも全く同じだ。
「外ヅラ」が政治家・市民、支持者・非支持者関係なく同じであること。それだけで十分に「公平・誠実・実直」を謳って良いのではないだろかと思った。

当選後、立憲民主党の代表に立候補した小川さんは、代表選の期間中ほぼ毎日、有権者と意見交換をする「青空対話集会」を東京でも行っていた。
今、代表になりたいなら絶対に時間の使い方間違っているなと思った。足繁く通った私は党員ではない。道行く人が興味を持ってくれたとしてもその人も党員ではない。どんなにいい対話が生まれて小川さんいいじゃないと思う人がいたとしても代表選に影響する可能性はとても低い。
そんなことはご本人がいちばんわかっていたであろうがそれでもなお、小川さんは街頭での対話集会を選んだ。
そこには当選してすぐに語った、政治というのは常に51:49の49の人に目を向けねばならない。という信念があるのだと思う。支持者であれ、非支持者であれ、自分に投票できない人であれ、国民の話を聞いて、国民と一緒に民主主義を立て直す。

映画の隅から隅まで、小川さんと、その周りの人々からはその気概を感じ取ることができた。
一方で、選挙期間中小川陣営以外で起きたいくつかの事件も映されていて、それもまた、絶対に!今!民主主義を立て直す必要がある!それは政治家だけの仕事じゃない!と思わせてくれる場面だった。

市民運動がしたい
というわけで10年前、デモは怖いもの、と思ってしまった私だが、今はとにかく市民運動がしたいのだ。 市民運動とは

ひとりひとりの市民が民主主義を基礎に、権利意識を自覚し、階層の相違を超えた連帯を求め、特定の共通の目的を達成しようとする運動をいう。

ということだ。

BLACK LIVES MATTERのように弱者の生きる権利が権力によって脅かされた時、 香港やタイのように政府に民主主義が脅かされた時、日本で暮らす自分たちはどうなってしまうのだろうと思う。 多数の中にいることこそが平穏で正しいとされるこの国の中で、他人を、社会の少数派を思いやる余裕なんて持てないよという人は多かろうし、理解できないしたくない、むしろ批判したいという人たちも大勢いることは嫌というほど見てきた。実際何かの運動が起きるたびに、運動自体を批判したり、賛同する著名人を批判したりする動きの方が目立ってしまったりする。そんな中、ましてや政治の不正義を正そうなんて立ち上がる人は果たしてどれくらいいるのだろう。

また、実際立ち上がりたいのは山々だが、なにせ政府の意のままに大人しく、生きてきた。我慢することが美しくて、他人に迷惑をかけないことが素晴らしくて、自分でなんでも片付けられる人こそ優秀だからそうなりなさい、と言われ続けて、一生懸命自立して、だがしかし出る杭にならぬよう、世間の風向きを見て足並みをそろえて生きてきた。いや、生かされてきた、のかもしれない。

いざ権力に立ち向かい声を上げねばならぬ時、そんな骨抜きの自分に一体何ができるんだろう。
たとえばデモに参加したとして、公道を練り歩いてメガホンを通して空に放たれたその声は、一体誰に具体的に届くのだろう。と思ってしまう。
たとえば政治家にメールや手紙を書いたとして、自分一人の声など拾ってもらえるわけがない、拾われたとして数の少ない野党に何ができるのだろう。と思ってしまう。
署名を集めたとしして、提出した署名に並ぶ市民の名前の重みを、あの人たちが感じ取るわけがないではないか。と思ってしまう。

青空対話集会
香川を訪れて参加した「小川淳也青空対話集会」は自分の求めていた市民運動の形に最も近かった。

「青空対話集会」だなんて、「青空」に爽やかさを、「対話」に人の話を聞きますよという雰囲気を醸したタイトルを冠しただけで、うるさいだけの、お願いばかりの、あるいは対立候補の批判ばかりの、よくある選挙演説なんでしょ。なんていう穿った気持ちも正直あった。

しかしその場所で行われていたのは本当に対話だった。市民ひとりひとりの個人的な思い、悩み、意見、政治家自身への批判を聞いて、それに対して質問者以上の熱量で政治家が意見を返す。そういうことが行われていた。
多くの方と対話することで、市民の間から根を生やすような民主主義を育てて行きたい。高松のスーパーの前、青空のもとに集まったおじいさんおばあさん率多めの老若男女の前で、初めて見た小川さんはそう力強く語っていた。

香川だけでなく、全国津々浦々、これが行われるようになれば、自分たちと、自分たちが選んで、自分たちに寄り添ってくれる政治家によって、政治を変えられるのかもしれないと思った。
そして実際に今回の総選挙で小川さんは、地元最強の対立候補を倒して当選を果たした。政治が変わるかも!という思いは一夜を待たずに数時間で簡単に打ち砕かれたが、でも、今回の小川さんの勝利は、そうした、対話の積み重ねで市民の信頼を勝ち得た小川さんと、信頼できない権力に対抗する名もない市民の勝利でもあると思えた。

問われたのは、一人一人の民主主義
香川1区のキャッチコピーである。今回の映画は、ある政党の一人の政治家を追ったドキュメンタリーではない。
今もうすでにそこまで来ている、いざ、という時。市民がきちんと声をあげるべき時に備えるための映画だと思った。
2021年10月、香川1区にいなければ分からなかった、文化祭みたいなみずみずしさも、対極にあるきな臭さや民主主義の危機もおさめられている。

どうか一人でも多くの人が観てくれて、全国各地で小川淳也青空対話集会みたいなことが行われ、「市民の間から根を生やすような民主主義」が育って行ってほしい。
自分も育てられるよう、よりたくさん小川淳也さんを応援し、よりたくさんの対話集会に参加し、より多くの信頼できる政治家を見つけていきたい。















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