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くるりもソウルフラワーユニオンもあきらめて選挙ボランティアをした話2

9月
フジロック開催以降、音楽フェスが急激に感染拡大の要因として目の敵にされ出して、新規感染者数は徐々に減っていく中、チケットを取っていたライブが相次いで中止となった。
そんなタイミングでボロフェスタが開催を発表。しかも、6日間も!という姿勢にいたく共感した。感染拡大防止にはもちろん注意を払わねばならないが、人々は楽しむことも諦めてはならない。絶対応援しに行くぞ!と思ったのだった。
仕事の予定も定まらぬまま、6日通しチケットを即決で購入。早々とホテルも取り、10月末を心待ちにしていた。

10月10日
衆議院選挙の投票日が10月31日になることが発表された。

10月19日
衆議院選挙公示日。
ドキュメンタリー映画「なぜ君は総理大臣になれないのか」で話題になった、香川1区の候補、小川淳也さんの出陣式をtwitterで見ていた時に衝撃を受けた。小川さんの応援に来ていた井手英策さんのスピーチだ。こちらの方が文字起こしをしてくれている。


母がボケて10年、父が職と家を失って8年。父が寝たきりになって5年が経った。

母はもう息子である自分のことも覚えていないし、父は会話もできない状態だ。
2人ともめちゃくちゃな人生で、生命保険なんてもってのほか、国民保険や住民税すら長年払っていなかったので、まず金銭や手続きといった物理的な負担が重くのしかかった。毎月の給料の何倍ものお金が瞬く間に飛んでいく。比喩でもなんでもなく自分がご飯を食べるお金すら一時的になくなってしまった。

次に、身体的な負担が来た。2人を適切な施設に入れられるまでの間、特に母のことは大変だった。またいなくなった。どこどこの交番に迎えに行かなきゃいけない。どこどこで怪我をして病院にいる。銭湯に自分で行けないから体を拭いてやらなきゃいけない。などなど。

次に、心に負担が来た。何をしても心から楽しめなくなった。何かを楽しむためには必ずお金を使う。こんなことにお金使っちゃダメだよな。という気持ちが常につきまとう。
それでも自分の好きなことはやりたいからやる。しかし、今この時間も赤の他人が介護してくれているのに自分は楽しくていいのかな、とか。
親はもう二度と正気が取り戻せないままただ生きているのに、自分は幸せでいいのかな、とか。
楽しければ楽しいほど、幸せであればあるほど、罪悪感みたいな気持ちが心に膨らんでいく。
財布も体力も心もどんどんすり減って、毎日のふとした瞬間に、ああもう早く死んでくれないかなあ、どんだけ金使ったんだろう。あの金あったらあんなこともこんなこともできたなあなんて思う。
そうしてそう思ってしまったこと自体にまた心がすり減る。そんな日々がもう10年続いている。

そんな自分の心情のど真ん中を撃ち抜かれるスピーチだった。

自分を大事にしてくれた肉親の死を、たったお金の理由で願ってしまう。
こんな世の中はおかしい。何かが壊れている。
こんな社会を作ったのは誰か。自民党でもない特定の政治家でもない。
私たちだ。私たちが自民党を勝たせ、こんな社会を作っている。
その責任は政治家だけじゃない、我々にもある。

矢も盾もたまらず、ボロフェスタ前に香川に立ち寄り、小川淳也さんの応援をしに行こうと決意する。

10月22日
自分の選挙区での期日前投票を終える。
自分の選挙区の候補者が何を訴えて立候補しているのか、自分で情報を取りに行かないとならないが、なかなかに分かりづらい状況。各地こんな感じなんだろうか。どちらにせよ消去法で小選挙区は立憲民主党の候補に、比例は共産党に入れた。

10月27日
高松へ。
初めて歩く高松の道をリモート会議しながら歩きまくり、小川さんの演説場所を巡った。
人生で初めて自らの意思で参加した政治家の街頭演説は、市の中心部からはかなり離れた幹線道路沿いのスーパーの駐車場で、徒歩で向かうには一苦労の場所だった。
「青空対話集会」と名付けられたその場所では、小川に言いたいこと聞いて欲しいことはあるか?と聴衆にも発言の機会があった。
集会自体はとても温かい空気に包まれていたが、言語障害を持つ方が、障害のある人に対してどういった取り組みをするつもりか聞いたり、安全保障の厳しい質問が飛んだりと、目の前の政治家をよいしょするだけの内容ではなかった。

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小川さんは、発言者の目をしっかりと見て、常に前傾姿勢で、こんなにも真剣に答えてくれるのかというくらい、たくさんの答えを返していた。
そしてその場にいる全員と、マスク越しでもわかる満面の笑みで言葉を交わしていた。
神奈川から来ましたと言うと、よう来てくれた。と歓迎してくれて、あの人は広島だって、など、他の人と話していた内容もしっかりと覚えていて、そのあと道すがら会った時も、次の集会の場所でも、あ〜神奈川の!と声をかけてくれるのであった。

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夜ごはんは洋食屋さん「おなじみ」気に入りすぎて毎日通った。

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10月28日
昨日に引き続き、市街地から離れたスーパー、市街地のデパートで安住さんも来ての演説、その後また遠くのスーパーというスケジュール。
電車の全然来ない琴電の駅や、広々とした川原の土手、商店街のベンチなどいろいろな場所でリモート会議をするのが楽しい。
この日は1日4万歩以上歩いたが、小川さん自身も市中をあちらこちら自転車で駆け回っているようだった。

この2日間、回を追うごとに集会の聴衆はどんどん増えていき、スーパーの駐車場には、時間になるとわらわらと人が集まって溢れた。

この日夕方の青空対話集会、ご意見のある方いますか?と小川さんが言ったとき思い切って手をあげた。
中身のある質問なんかできなくて、出陣式での井手さんのスピーチを聞いた、自分も同じ境遇で、早く親に死んで欲しいと思ってしまう。というただの身の上相談みたいな話をしてしまった。
その間小川さんは、ものすごく真剣に話を聞いてくれたし、聴衆の方々もうなづきながら聞いてくれた。うれしかった。
そうして自分が話し終えたあと、全てを自己責任に追いやる政治なら税金も保険も払う意味がない。本当に辛い、苦しい時に寄り添ってくれる政治、そういう信頼できる政治を責任を持ってみなさんと一緒に作っていく。
ということをとても熱く語ってくれた。ものすごくうれしかった。
集会後、自分の母親くらいの年齢の方が集まって来てくれて、よう頑張ったな、うちもそうやったからわかるわ、偉いなあ、体気いつけや、とたくさん声をかけてくれた。まだ自分の周りには介護の話を共有できるような友人はいないので、人生の先輩の介護の苦労話を聞けるのはすごく貴重で、そして想像を上回る癒し効果があった。あまりにもうれしすぎて泣きながら歩いて帰っておなじみで満腹に。本当に香川に来てよかった。

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動画後半、自分の発言自体は恥ずかしいほど稚拙で、遠く香川までやって来て、政治家と、見ず知らずの人々の前で一体何を話し始めてしまったのだろう…と思っていたのだが、それを受けての小川さんのお話があまりにもありがたく、うれしく、すばらしかった。

全部で4回書こうと思っているうちの2/4です。↑1回目がこちら。
↓3回目がこちら。

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