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[2023.10.02]折坂悠太と三軒茶屋

2023年10月2日
熱と頭痛でダウンしながら洗濯したってのに干して数分で激しい通り雨が来てどうでも良くなった。
ふて寝してたら猫が腹に乗って喉鳴らしてくれてどうでも良くなった。
どうでも良いには二種類あるんだなと思った。
書くことのない日は、観たものや聴いたものの感想でも書こう。

先月「折坂悠太 らいど 2023」を三軒茶屋の昭和女子大学人見記念講堂で観た。

幼少期、昭和女子大学のすぐ裏にある「おともだち保育園」に通っていた。
Googleマップを覗いたら、まだ同じ場所にありそうだったので、開演前に周辺をうろついてみた。

近所に住んでいたひとつ上のたいちゃんに、おともだち保育園とか名前が子供っぽすぎると言われ、たいちゃんだって、はとぽっぽ幼稚園じゃないかと言い返し、ケンカに発展したような記憶がある。記憶に残る人生最初のケンカだ。

確か、はとぽっぽ幼稚園には、赤いかっこいいバスが園庭にあるのがうらやましくて、はとぽっぽ幼稚園に行きたいと親に言ったら
「幼稚園より保育園の方が質の高い人間が通う場所だ」
みたいな謎の優越感を植え付ける教育を施され、結果まんまと、たいちゃんをやんわり見下すようになってしまった。大人は、自分の何気ない一言が子供に及ぼす影響について、気を配って生きて行かないといけないね、と改めて思う。

たどりついた保育園は、驚くほどなんにも覚えてなくて
「あの頃のまんまだなあ」「ずいぶん変わったなあ」いずれの郷愁も感じることができず、あっけなく立ち去った。

だが、園のことはほとんど何も覚えていないのに、園の周辺の家や壁や木や曲がり角の風景は部分的に鮮明に覚えていることに驚く。
そのまま当時住んでいた家のあたりまで歩いてみた。

そういえば親が園までの送り迎えをしたのは最初だけで、入園してしばらくすると、自分一人で保育園に通っていたんだった。
園の行き帰り、心細く歩いていた景色だからよく覚えているのかもしれない。
すべての建物が天高いビルのように感じ、246の車の川を渡るのが怖くて手を上げて信号を渡っていたら「信号では手を上げなくていいんだ」と、知らない大人に言われた。心配してくれたんだろうけど、なんだかバカにされたようで悔しかった。
その上を通る高速の高架橋が異常にかっこよくて好きで見上げて歩いたが、何のためにあるものかわからずとても怖くもあった。
こげ茶の木製の塀の、大きくてよく吠える黒い犬がいる家があって、噛み付くからあの家には近づいちゃいけないと保育士に言われていたのだが、遠回りして行きも帰りもその家の前を通っていた。
犬が吠えて、塀越しに犬の鼻先をスッと撫でて、その瞬間だけ、とてもホッとしていた。
犬がいない日はすごく寂しかった。そんなことを思い出した。
やっとの思いで保育園にたどり着くたびに、子供一人で来させるなんて、と保育士の人が文句を言った。心配してくれたんだろうけど、親の悪口を言われてるみたいでとても嫌だった。
当時は保育園がこの世の果てで、果てしなく遠く感じていたが、案外住んでた家から徒歩20分の距離だった。犬のいた家はもうなかった。

そんな「人見記念講堂で折坂悠太を聴く」にはベストな感じに情緒を温めて会場へ向かう。知り合いとすれ違ったらしいがセンチメンタルの沼に引きこまれ過ぎていたのか全く気づかず、開演前に改めて声をかけてもらい初めて景色に色が付き、昭和の幼少期から現世へ戻って来た感があってハッとした。

折坂悠太は、鎌倉に引越した頃にちょうど「朝顔」がリリースされて「真新しい街に海鳴りがきこえて」とか「その庭を選び今に咲く花」とか、海のある街の庭のある家に越した風景と喜びと、今まで暮らした街を離れた寂寥感にしっくり来る曲でたくさん聴いた。
そのあとすぐにコロナがやって来て、コロナ禍にいちばん聴いたアルバムは折坂悠太の「心理」とTaylor Swiftの「folklore」で、コロナ禍以降、最も多くライブを観たのが折坂悠太の重奏というスタイルでのライブだ。
今日声をかけてくれた知り合いも、折坂悠太のライブで知り合えた知り合いだ。ウイルスや戦争や頭のおかしな政治やと、日々変わって行かざるを得ない、考え続けなければならないこの4年の生活は、折坂悠太の音楽と共にあったと言っても過言ではない。

弾き語りはあまり好みではない。ドラムとベースが好きなのだ。鍵盤やホーンがいたらますます良い。音源そのままの素晴らしい演奏だ!または、今日しか聴けない素晴らしいアレンジだ!あるいは、観客の盛り上がりも相まって最高のグループだ!など、とにかく、歌そのものよりもライブ会場で聴こえてくる音の全てを耳に流し込みたいという気持ちが強いのだと思う。

「重奏」のライブは本当にすごかった。楽器や楽譜や奏法の細かい技術について語れる知識はないけれど、たとえば「爆発」や「鯱」のイントロの、焦燥感や不穏な雰囲気を漂わせる音であるはずなのに、鳴らされた瞬間に惹きつけられてしまい、演奏が進むほどに心躍っていつの間にか幸福感に包まれるあの感じが本当に好きだった。

今回は、趣のある会場での弾き語りがテーマのツアーだったので、高知の芝居小屋とか秋田のお寺とか、本当はそういうは場所まで聴きに出かけたかったが、日程が合わなかったりで、なんとか東京の人見記念講堂だけチケットが取れた。
行きたかった会場ではなく、好きだった重奏ではない、ということで、実はそこまで気分は昂まってはいなかった。

「爆発」でこの日のライブが始まった。
重奏での、あの、ブォーンと腹に響く大好きなイントロが演奏されない。やはり物足りない、なんてことは全くなかった。

「光が揺れてる〜」の歌い出しの時点で、重奏なくても全然よい!となり
「もういいかい〜」の裏声のところで、歌声よすぎ!上手すぎ!と、開始1分以内で完全に魅了され、歌が聴きたい!声を聴かせて!昨日が遠い風に変わるまで!明日がそばにあると信じたい!という状態になっていた。

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今私が生きることは針の穴を通すようなこと
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と歌う「針の穴」と、
「夜学」の、
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それはいつもの道ですが その日は 寝そべる大きな壁に思えました〜
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以降で歌われる景色、
子守唄みたいな「星屑」の3曲が、幼少期を思いながら聴いたこの日の感情に寄り添ってくれてとても良かった。

そしてなんと言っても大好きな「トーチ」
コロナ禍にいちばん聴いたアルバムは「心理」で、いちばん聴いた曲は「トーチ」ではなくてMustafaの「Stay Alive」だが、「トーチ」は2番目に多く聴いた曲だ。
2022年のフジロック、グリーンステージの「わかってもらえるさ」の一節から始まるトーチの演奏がもう、本当に本当に大好きで、あの日の演奏は、コロナにまつわる様々な鬱屈を解放してお焚き上げするみたいな情感のこもった凄みがあったが、今日のトーチは
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お前だけだ その夜に あんなに笑っていたやつは
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と、あの頃先が見えなくて漫然とした不安でいっぱいだったはずなのに、なんか楽しい夜もあったよな、と、同じ部屋で優しく話しかけてくれるような演奏と歌い方で、とても良かった。

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君は 戦争行く時は さわらせてあげるよと
そうしてぼくは ここにいて 君には触らない
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という「角部屋」の大好きだった一節が、もう今となっては、ともすれば触れる条件が揃ってしまう世の中の情勢になってしまい、歌詞の持つ情緒が全然変わってしまったなと憂鬱になったりもした。

そして新曲?新曲なんだろうな。知らない曲が数曲あって、それが全て、耳に穴が空くほど聴いた名曲たちに匹敵するくらい好きだった。
その中に、ダイレクトに戦争のこと歌っていた曲があった気がして、帰り道、会場で買った詞集「あなたは私と話した事があるだろうか」を読んだら「正気」という曲だった。

そんな話はしていない
私は本気です
戦争しないです

最高の歌詞だった。この世のあらゆる音楽の中で最も自分の気持ちを代弁してくれる歌詞に出会えた。

アルバム「平成」や「朝顔」までは、歌うまアコースティック枠として、生活の中でちょっと良い雰囲気を盛り上げたい時に聴く、というカテゴリーに折坂悠太を分類していた。
それが「トーチ」と「心理」から、段違いに、自分の生活に食い込んで来る存在になり、それ以降に観たライブは全て異常に素晴らしく、生活の一部となった。
ただそれでも主軸は演奏と歌声であって、そこまでしっかり歌詞を噛み締めたことは「トーチ」以外にはあまりなかった。
弾き語りだと、歌詞のひとつひとつが、ぽつぽつと語られている言葉のように耳に入って来て、そのタイミングで「あなたは私と話した事があるだろうか」というタイトルの詞集を手にしてハッとした。
たしかに、今日、初めて「折坂悠太と話した」とまでは行かないけれど、「折坂悠太の話をゆっくり聞いた」という気持ちになった。

帰り道、池尻から目黒川沿いに中目を抜けて、権之助坂を上がって目黒駅から電車に乗るという20代の思い出センチメンタルコースを
風よ さびしさについて 何も語ることなく 歩き始めたこの道に 吹いて くれ!
と、ちょっとだけ声に出して歌いながら歩いた。とても良い気分だった。
目黒川沿いの区民プールそばの、思い出がたっぷりべったり染み込んだベンチに座って、詞集の中にあるエッセイを読んだ。
ひとつ目のエッセイに保育園の話が、最後のエッセイに戦争の話が出てきた。

そんな話はしていない
私は本気です
戦争しないです

写真はゴールデン街の行きつけのスナックに貼られた、折坂悠太らいどのポスター。折坂悠太のライブで今日会った人に出会えてこの店にも辿り着いた。それがとてもうれしい。
これまで、独奏って書いてたら避けてしまっていたけれど、何奏であっても、折坂悠太はできる限り聴きに行こう。と思った。



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