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「ガチで遊べ。」


映画・「マイ・ガール」を観た。

葬儀屋を営む父と祖母と三人で暮らす少女ベーダ。


幼馴染のトーマス
恋をしている担任の先生のビクスラー
葬儀屋で働くことになり父と距離が近くなるシェリー

主にこの四人と少女との関係・心理描写を映した淡く懐かしさを感じる映画。

設定が田舎町の夏だったから丁度今の時期観るにはピッタリじゃないかな。



俺はこの映画を観て

子どもの純粋性ほど大切にするべきものはないと思った。



キスしたことがあるか?を幼馴染のトーマスに聞いてしたことが無いとわかると、まずは自分の腕でキスの練習をしてそこから本番のファーストキスをする。

キスをしたトーマスの感想が

「アメリカ合衆国の旗に忠誠を誓います。」

と言ったシーンは最高だった。


その後、恋をしている担任の先生と結婚したいと言っているベーダに対して

「僕も候補だ。」と言い

「いいわよ。」と返す二人のやり取りも良かった。


ネタバレまでざっくり書くと

トーマスは死んじゃうし
父はシェリーと再婚しようとするし
恋をしている担任の先生には恋人がいることが発覚するし

ベーダのメンタルがボコボコにされる出来事が続いてしまうがそれを乗り越えようとしている描写も良い。

まじで心の汚れた大人は皆観るべきだ。笑



俺は普段から子どもに接するなんてことは皆無だけど

子どもの視点にハッとさせられる大人は多いんじゃないかな。
(Twitterでバズってる投稿でもそういう系が多いし。)

子どもは純粋性が高いから余計な雑音やバイアスなんて関係なく物事の本質を捉えられるんだよね。

つまりなんで子どもの視点にハッとさせられるかというと、人として大事な本質を捉えている尚且大人がそれをズレて捉えているからだ。



生きていく上で知識は大切だしどんどんつけるべきだ。

知らないと知っているとの差はシンプルだけどとてつもなく大きいからね。

でも、知識をつけ知っていることを増やすことと雑音やバイアスを増やすことは違う。

例えば最近は日韓問題が話題だけど

今までの歴史を知り知識を付けることと、目の前の韓国人を差別とか嫌悪することは違うでしょ。

今も昔も国際的には色々あるけど、目の前の人を差別したり嫌う理由にはならないでしょ。

どこの国籍の人だろうが関係なく俺にとって良い奴は好きだしムカつく奴は嫌いなんだよ。ただそれだけだ。

確かに知識は雑音やバイアスに変わりやすいかもしれないけどそれじゃ物事の本質は観ることはできないよ。



子どもが余計なことを考えずに本質を捉えられる理由は多くのことを知らないからだ。

ただ、大人になるにつれて知らないじゃ済まされないことも多々ある。

だから、大人に必要なものは多くのことを知る中で知識と雑音を分けて物事を観れる眼だ。

子どものように純粋性が高い眼だ。


じゃあ、どうすれば純粋性が高い眼を持てるのか?

それはマイ・ガールのような映画を観たり、実際に子どもの頃遊んでいたことをしてみればいい。

例えば、夏だったら虫取りとか川遊びとか。

大人になった今、ガチでカブトムシを採りに行ったりなんかは最高だろうな。

とにかく遊びを本気でやってみることだ。

そうやって子どもの感性に近づき思い出すことで純粋性を高められるんだ。


もっと遊べ。

ガチで遊べ。

純粋性を高めろ。



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