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【4/28日記】まる焦げパウンドケーキ

休みなのでパウンドケーキを焼いてみた。見事に失敗した。中は生焼けなのに表面だけはまる焦げ。もう一回焼き直してみたけれど、中は一向に焼けず、さらに表面はガビガビに。なんか固くて到底食べられる感じではなくなってしまい、今さっきようやく決心がつきゴミ箱にIN。生まれてきてごめんなさい。わざわざ時間をかけて、そんな気分になった。

それにしても久しぶりに失敗らしい失敗を目の当たりにして、なんか笑ってしまった。「失敗は成功のもとだよ!」なんて常套句で自分を励ましてみたけれど、一方でこの丸焦げっぷりである。この先に誰が美味しいパウンドケーキを見通せるだろうか。悲しいかな、失敗は失敗でしかない。横たわる焦げた物体が、そうありありと見せつけてくれる。とりあえず今は一人、自分の失敗に声を出さずに笑っている。

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ふとした瞬間、かつての失敗体験が頭をよぎることが私にはよくある。30ちょっと生きていると失敗も色々だ。人前で恥をかいたとか、家族や友人への失言・暴言、誰かを傷つけたこと。本当にいろいろ。やつらは前触れなくやってきて、そのたび私を罪悪感で苦しめる。特に入浴中。シャワー浴びている時とか。水を浴びるという行為がそうさせるのかもしれない。だから「滝行」ってあるのか。そう妙に納得する。大量の水を浴びれば、今までのあれやこれやが水と一緒にそぎ落とされて、なんか生まれ変われそうだもの。やったことないからわからないけど。

今でもその悪い癖は治らない。多分一生治せない。だから、私は処方箋のように誰かの言葉を使う。この場合、父親の言葉だ。

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大学受験の時だった。私は失望していた。第一希望の大学の試験、英語の問題冒頭から全然解けなかった。答え合わせで10問あるうちの2問くらいしかあってなくて、「はい、もう落ちた~」と思い込んでいた。

そんな私を見て、父が珍しく声をかけてくれた。(父は割と無口なほう)

「間違いに気づけてるってことは、正解が多いってことだ。」

だから、受かってる。そう父親は言った。なんて無責任な。そう思ったけど、後日蓋を開けてみれば受かってた。父親は私の合格を喜ぶというより「ほれ見たことか」と言わんばかりに「俺の言ったとおりだったろ」と得意気だったけど、この時ばかりはそうだなと思った。


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私が失敗ばかりを思い出すのは、そういうことなのかなと思う。裏返せば、そこそこの人生ってこと。

そういえば、久しぶりに中学の同級生に会ったとき、クラスで一番のいじめっ子が、

「うちの学年、いじめなんか無かったよね!」

と言ってきて、みんなで黙りこくった。彼女の可愛らしい顔立ちの中心にある丸っこい目は、一点の曇りも無くキラキラとしていた。多分、本気でそう思っているんだ。そうわかってしまったから、何も言えなかった。

そういう子と私、どっちが良いんだろう。いや、どっちも同じだ。誰かを傷つけたとき、傷つけた本人は大体無自覚だから。私だって、彼女のように曇りのない目で無自覚に罪を忘れている時があるだろうから。逆に罪悪感を感じてうんうん考えこんでいる罪は、大した罪じゃ無いのかもしれない。


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失敗は成功のもと。確かにそうだけれど、私は「失敗の分、そこそこ成功も積み重ねてる。だからもう、振り返んな。」と言ってくれた方が安心する。未来は変えられるとして、過去は変えられない。だからこそ、過去の過ちを慰める言葉だって欲しい。

とはいえ。父親がくれた言葉がこのまる焦げパウンドケーキを無かったことにしてくれるわけでもないので、早速検索エンジンで「パウンドケーキ 生焼け」で調べてみた。一応の原因は分かった。小麦粉の混ぜすぎらしい。混ぜすぎはグルテンが何たらかんたら~で良くないとか。よく混ぜるのが正解だと思っていた。盲点。そうやってまた無自覚にいけないことを繰り返していたわけだけど、これを忘れないうちに気が向いたらもう一回挑戦してみることにしよっと。

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