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広告クリエィティブ職は聖書もわかりやすく語れるのか?その71

普段広告のクリエィティブ業をしつつ、プロテスタントの教会でお子様にお話をさせていただいています。その原稿を公開するシリーズ。
今日はイエスさまが過越の祭りの真っ最中にロバにのってエルサレムに入っていく箇所です。この1週間後に十字架に掛かるとは思えない歓迎ぶりが印象に残る場面です。イベントは人が多いところでやるのが鉄則。まさにその鉄則に忠実に行われたイベントですが果たして成功だったのか?という視点でお話をしています。

マタイによる福音書21章1節から11節(新約39ページ)
1:一行がエルサレムに近づいて、オリーブ山沿いのベトファゲに来たとき、イエスは二人の弟子を使いに出そうとして、 2:言われた。「向こうの村へ行きなさい。するとすぐ、ろばがつないであり、一緒に子ろばのいるのが見つかる。それをほどいて、わたしのところに引いて来なさい。 3:もし、だれかが何か言ったら、『主がお入り用なのです』と言いなさい。すぐ渡してくれる。」 4:それは、預言者を通して言われていたことが実現するためであった。 5:「シオンの娘に告げよ。『見よ、お前の王がお前のところにおいでになる、柔和な方で、ろばに乗り、荷を負うろばの子、子ろばに乗って。』」 6:弟子たちは行って、イエスが命じられたとおりにし、 7:ろばと子ろばを引いて来て、その上に服をかけると、イエスはそれにお乗りになった。 8:大勢の群衆が自分の服を道に敷き、また、ほかの人々は木の枝を切って道に敷いた。 9:そして群衆は、イエスの前を行く者も後に従う者も叫んだ。「ダビデの子にホサナ。主の名によって来られる方に、祝福があるように。いと高きところにホサナ。」10:イエスがエルサレムに入られると、都中の者が、「いったい、これはどういう人だ」と言って騒いだ。 11:そこで群衆は、「この方は、ガリラヤのナザレから出た預言者イエスだ」と言った。

Copyright: 日本聖書協会

<イベントの定義>
 みなさんは大勢の人の前で喋ったり、何かをしたことがありますか?ピアノの発表会だったり、学校の音楽会だったり、スポーツの大会だったり、たとえば発表会だといったい何のために発表会するんでしょうね。普段どれだけ頑張っているかを伝えるための会なのかもしれませんね。たとえば運動会は運動の頑張りを伝えることもありますし、学校の雰囲気を伝えるためかもしれませんね。大勢の人に一度に何かを伝える場、というのはいろいろあるものですね。その場のことをイベントと呼びます。イベントの語源を調べてみるとラテン語で外から何かが来るということだそうです。なるほど、確かに普段なにもないところに何かがきてという体験なんでしょう。今日の聖書の箇所はまさにイベントです。外から何かが来て、そして何かを伝えたかった、とても準備されたイベントです。何百年も前から準備されていた不思議なイベントです。何を伝えたかったイベントだったのかを見ていきましょう。

<子ロバで入城したイエスさま>
イエスさまがエルサレムに入っていく様子が描かれています。まず、何で入っていたのかというとロバでした。そのロバは前から準備していたのではなくてその入る直前に用意したものでした。その用意の仕方が面白くて2節むこうの村にいったら子ロバがいるからそれを持ってきなさいというんですね。それは誰かのロバなわけなんですが、勝手にもっていってしまうわけです。おいおいって感じですが。で、言われたお弟子さんは心配になりますよね。そこで誰かからおいおい、って言われたこう答えなさいと「主がお入り用なのです」最近お入り用とはなかなか言いますが必要なのです、という意味です。イエスさまが必要なのですといいなさいとね。そしてこれはロバで入ることも旧約聖書に書いてあるんですね。前々から準備されていたんです。ロバで入ってくると、しかも子ロバではいってくると書かれていました。しかもそのロバは誰も乗ったことのないロバじゃないといけなかったとも書かれているんですね。6節実際にお弟子さんがいってみると本当にロバがいてイエスさまのところに連れてきました。そしてそれにイエスさまが乗ってエルサレムに入っていったんです。

<大勢の群衆の反応>
さあ、そこで何が起こったかというと、8節です。大勢の群衆が自分の服を道に敷き木の枝を切って道に敷いたとあります。まずなんでそんな大勢の人がいたかというと過越の祭りというお祭りの真っ最中だったんですね。世界中からユダヤ人がなんと250万人も集まっていたそうです。すごい数ですよね。一年で一番エルサレムに人がいるときに、イエスさまが入ってきたということなんですね。イベントとしては完璧なタイミングです。そしてそれまでにイエスさまの噂はいろいろ伝わっています。いままでイエスさまがしたお話だったり、奇跡だったりの噂がみんなに知れ渡っていて、もうあのイエスさま、になっている状態だったんですね。実物を見た人はそんなにいないかもしれませんがあのイエスあのイエスという噂で持ちきりだったんです。それもこの3年ぐらいのイエスさまの伝道活動という準備がされていたからこんなにみんなの噂になったわけでこれもイベントとして完璧です。みんなが待っている、イエスさまを欲しくなっている状態なわけです。なので先ほどのところ、自分の服を脱いで道に敷く、これはその人に従う、ははーっていう意味ですね。そして木の枝を切ってというのはシュロと呼ばれる尖った葉っぱ、うちわみたいなんですがそれを振ってイエスさまを迎えたんですね。なのでイースターの1週間前の日曜日を棕櫚の聖日といったりします。イベントの参加したみなさん大興奮ですね。

<王として入城したイエスさま>
そしてこんな言葉を叫んだそうです。9節「ダビデの子にホサナ、主の名によってこられる方に祝福があるように。いと高きところにホサナ」と。ホサナというのはいま救ってくださいという意味で、ダビデの子、救ってください。神様の意志で来る方に良いことがありますように、そして天の天使にも叫ばせてください、いま救ってくださいと」という意味です。この人々のお迎えの仕方は以前にもあった迎え方だそうでエヒウという王様を迎える時に同じ迎え方をしたそうです。これも800年前と同じように迎えたそうです。これも準備されていたことなんですね。つまりイエスさまは王様として迎えられたということなんです。この何年も前から聖書に書かれていたことをなぞるようにイエスさまが王様であるということを伝えるために行われたものすごいイベントだったんですね。
 
<平和の王>
ではこのイベントは成功したのでしょうか?先ほどお話しましたがイベントには伝えたいことがあるからイベントがあるとお伝えしました。イエスさまが伝えたかったことは子ロバにのって入ってくる、戦争では馬にのりますが、ロバは平和の象徴だったので平和のための王様という意味を込めてロバにのっていました。平和の王、何の平和なのか?それは国、政治的な平和ということではなくて人間ひとりひとりの心の平和のための王様、なんですね。でもここで大歓迎していたユダヤ人は政治的に何かいいことをしてくれる、今の状況を変えてくれる王様だと思って歓迎してしまったんです。心の平和とは何か、それは神様を信じている状態の心、それが心の平和。そのために、イエスさまはこの熱狂的な大歓迎の1週間後に十字架にかかって死んで、そして復活をされます。それによって人間のこころの中にある神様を信じられなくなってしまう罪と呼ばれるものがなくなって信じられるようになったんです。

<救いの計画の成就のためのイベント>
このイベントは成功したのか?この入ってくることで平和の王様であることがちゃんと伝わらなかったのでこのイベントの単体では失敗なのかもしれませんが、でもイエスさまの目的は私たちを救うことだったので、そのためのイベントなので最終的には成功した、十字架にかかって復活されたので、成功なんですね。それは救いの計画が成就したともいわれます。今月の最終の日曜日のイースターまでイエスさまがどう十字架にかかり、そして復活されたのかを学んでいきます。それは平和の王になるためなんだと覚えておいてください。わたしたちのひとりひといの心の平和のためにということを覚えておいてください。おしまい。

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