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ぼくらの浪漫ひこう

ぼくたちは、川をとびこえた。毎日飽きることなく飛んでいた。「あぶねぇぞー。」すれ違う大人に何度も注意された。それでもやめなかった。通学路には幅2mほどの小川が流れていて、毎日小川を飛び越えながら帰っていたのだ。川に入って魚を手づかみしたこともあった。下級生が川に落としたものを拾って、得意げになったこともあった。
ある日、「うおぁーー!!」と叫びながら、友達が川に落ちた。もちろん、川に落ちることもある。ギリギリの場所を飛び越えていたからだ。ちょうど夕暮れどき、夕日が水面に反射する。「やべぇ!」また一人川に落ちた。飛び散る水しぶきに、夕日が反射し、キラキラと輝いていた。
翌日、学校に連絡があった。小学生が川で危険な遊びをしている、と。僕たち5人は職員室に呼び出され、注意を受けた。2度と子供だけで川で遊ばないと約束した。その日から川で遊ぶことはなくなった。ぼくらの浪漫ひこうは、あっけなく終わった。
それから数年が経ち、僕たちは中学生になった。金木犀が香る帰り道で、「久しぶりに川に行ってみるかー。」と誰かが言った。季節は秋。夕暮れどき。鮭がバシャバシャと川を上る。「鮭ってさ、なんであんなに傷つきながらがんばってんの。」誰も答えられず沈黙が続いた。「子供とか未来のためだよ。」友だちが言った。「んー、未来のため、ねぇ。」
鮭が飛び跳ね、水しぶきが飛び散り、夕日で輝いた。
川をこれ以上登っても、同じような川が続いているだけだった。14歳のぼくは、鮭が、体を傷つけながら川を登る意味を理解することができなかった。

<後書き>
たまに思い出すふるさとの景色です。
未来のために頑張るという意味を当時は分かりませんでしたが、今では少しわかるような気がします。


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