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2023

2023年が始まった。昨年の10月から付き合い始めた沖縄に住む彼女が年末年始を東京で過ごしてくれた。普段会えない分、照れも不安も不慣れさも拭えないがすごく幸せだった。久しぶりに1人で乗る成田空港からの電車の寂しさを埋めようとしているのか、友人、いや友達が書いた文章に感化されたのか久しぶりに文章を書こうと思った。
違う!年始だからだ!


あるあるではあるが2022年を振り返る。色々な場所で色々な人に出会った。新しい経験をして、今まで慣れていた光景が少し変わったような、そんなことを思えば自分自身が最後には元に戻ってしまったかのような、そんな一年だった気がする。同世代の友達は今年から社会人になる。行きたいところには行けたのだろうか、好きな子には想いを伝えたのだろうか、したいことをし終えたのだろうか、身につけたかったスキルは身につけたのだろうか。あと1年の学生生活が残っている私は、遅れている劣等感を隠すためなのかこんな理不尽なことを聞きたくなっていた。誰が全てのことをし終えて学生を終えようか。悲しい。私が2022年一番得られた大きな財産は過ごしたい人生の形が少しはっきりしたことだ。何歳になろうと上記の事は簡単に実行できるし、むしろ学生よりも社会人になってからの方が良いのかもしれない。区切られる職業の欄に自分自身の人生を当てはめないことが大切だと感じるようになった。

「一般的な、普通な○○」に懐疑的になるようになったのは大学2年生になってからだ。そこからみんなが言う「良い人生」(ここではしたなくない仕事で高収入、見栄ばかり張る家族を持ち、これまた見栄ばかりのマイホームでマイカーである)が本当の幸せなのかということを考え続けていた。だいぶ嫌味っぽく紹介した「良い人生」ではあるがもちろん実行するのは難しいと思う。努力と忍耐力は欠かせない。
少し話が逸れたが私が送りたい人生はいつになっても人と繋がり、学びをやめず、幸せと成長を感じるものだ。自分がしたいと思うことにはある程度盲目的に飛びこんで挑戦していきたいし、必要と思うスキルは全力で得たいし、会いたい人にはいつでも会いに飛んでいきたい。
2023年はただただ続いていく人生の中で勝負の年なんて思ったりもする。ただこれは毎年思うことだから、先を決めるのは毎年の毎日なんだとは重々承知している。

就職活動という言葉にも学生最後の一年という言葉にも負けずに自分の考えていることに純粋な一年にしたい。そうだな、がむしゃらでいたいって俺も思った。


途中で逸れているような文章も、自分が何度も推敲を重ねても、書き直す気力も技量もない。自分が好きって思える文章を書けるようになりたい。これは2023年の目標。後悔のない一年を過ごせますように。これは2023年へのお願いだ。

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