アッピー

Okay football

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最近の記事

安心したいだけ

友人が恋人と別れた たくさん泣いていた 私が失恋をしたときも電話に付き合ってくれたので 長いこと話した 3ヶ月と恋人と持たない人が結婚なんかできるのか と言っていた 俺もそう思う まあ、そんなことはどうでも良い 去年の8月 私は彼を怒らせてしまっていた トーク履歴を消すくらいに 割と私の中ではトーク履歴を消すというのは 重大なことで 私がそれをする時は失恋した時くらいで それはもうよっぽど怒っていたのだろうと思った 知らなかった、そんなになんて 彼が激怒した次の日くらいに会

    • サッカー

      僕は小学校1年生の時からサッカーを始めた。杉並区のクラブチームで区内では1位2位を争う強豪だった。もちろんコーチも厳しく、僕はよく怒られていたし、時には殴られていた。理不尽なことで怒られたし、きつい走りも経験した。サッカーが怖くなったこともあったし、ボールを受けるのが嫌になったこともあった。 けど、今の僕の中にある強さ(この強さが正解か不正解かどうかは分からないが)は確実に小学校6年間で培われたものだと思う。 区の選抜にも選ばれたし、初めての11人制の大会で10番を渡されたこ

      • 2023

        2023年が始まった。昨年の10月から付き合い始めた沖縄に住む彼女が年末年始を東京で過ごしてくれた。普段会えない分、照れも不安も不慣れさも拭えないがすごく幸せだった。久しぶりに1人で乗る成田空港からの電車の寂しさを埋めようとしているのか、友人、いや友達が書いた文章に感化されたのか久しぶりに文章を書こうと思った。 違う!年始だからだ! あるあるではあるが2022年を振り返る。色々な場所で色々な人に出会った。新しい経験をして、今まで慣れていた光景が少し変わったような、そんなこと

        • パリの影響が沸々と

        安心したいだけ

          幸せだよ

          幸せとはなんだろう。 友人のドイツ語の課題で幸せについて書く、というものがあった。 今の自分に問う。 「今自分は幸せか?」 「幸せだ」と思いっきり答えたい。 幸せと答えないと自分で自分をどんどん下げていくような、自分で自分を不幸に追いやっているかのような。 とにかく、良いことはない気がする。 僕にとっての幸せとは、僕が必要としてる人、そばにいたいと思っている人が一緒にいてくれることだ。今、考えてみると両手両足の指を使っても足りないくらい僕には幸せの源(人)でありふれている

          幸せだよ

          見えてたのに

          タバコを吸った 久しぶりに後で拾うつもりで タバコをおもっきり地面に投げた 夜だった 火も消さずに 投げたタバコは 明るく火を灯し その場所を伝えてくれた ここにいるよー! って伝えてくれた その下には光る金属があった 小銭なのか、瓶の蓋なのか よく分からなかったけど そんなものが見えた。 少し目を離して もう一度タバコを見ようとすると 見つけられなかった 火が消えていた 教えてくれていた居場所はわからなくなり そこにいた人はあたかも消え

          見えてたのに

          自分だけが取り出せるなんて傲慢だな。どっかに行っちゃうかもしれないのに。

          自分だけが取り出せるなんて傲慢だな。どっかに行っちゃうかもしれないのに。

          ぐるぐるぐる 流れていく時間と感情 同じことを繰り返してる 時に幸せを 時に悩みを 運んでくる。 悩みの種の居場所は知っている。 ぐるぐると飼い慣らすことも掴むこともできない 悩みがどこから生えてきているか それは知っている。 知っているけど、僕の心の鉢からは 取り出そうとは思えない。 時にぐるぐるぐるぐると勢いよくやってきて 運んでくる その幸せを知っているから。

          悩みにつながると認知している行動に関しては、きっと避ければいいだけだ。

          悩みにつながると認知している行動に関しては、きっと避ければいいだけだ。

          インスタの投稿を消したり、アーカイブしたりするときは大抵病んでいる。

          インスタの投稿を消したり、アーカイブしたりするときは大抵病んでいる。

          代替可能とは

          代替可能とは

          友人の文章に力をもらった。

          友人の文章に力をもらった。

          我儘なんて

          人間がなのか、僕がなのか。 それは、分からないけど、我儘だ。 恋人に依存されること。 時に鬱陶しいと思っていた。 時にこの人は俺がいなくなったらダメなんだろうと思っていた。 恋人が自立し始めた。というか自立した。 1人で生きている姿が見えた。 俺に泣き言を言わなくなった。 俺に弱さを見せなくなってきた。 彼女はまだ僕を好きなのだろうかと考えた。 依存されていると感じている時は、そんなこと考えなかった。 いつの間にか僕が依存していた。 依存と必要は違う。それは分かって

          我儘なんて

          比較と自由

          1人では生きていけない。 誰にだって、家族がいた、友達がいた、恋人がいた、知らない人がいた。 きっと隣に誰かがいる。 そして。比べる、比べられてる。 いつも思っていた、自由でありたいなと。 自由ってなんだろう。 自分のやりたいことをやっている人かな? 自分に正直な人かな? いつも笑ってる人かな? 周りを気にしない人かな? 他人と比べない人かな? 分からない。分からないけど、その人自身が自由って思えれば、それは自由なのだと思う。 長いテスト期間を終えれば、誰だって「自由だ

          比較と自由

          虚仮の一念岩をも通す

          虚仮の一念岩をも通す

          やれよやれよともう100回は言った

          みなさんは死ぬほど頑張ったと言える経験があるだろうか? 多分僕には無い。 おそらく大抵の人は大学受験を頑張ったとか、部活動を頑張ったと言うのだろう。僕は、大学受験は経験しなかったものの、高校受験で難関私立に合格し、幼少期から続けているサッカーも高校卒業まで部活動で一生懸命にプレーしていた。 しかし、振り返っても死ぬほど頑張ったのかと聞かれれば絶対にNOである。 どこかで限界を決め、勝手に手を抜きストップした。 いつになれば死ぬ気で死ぬほど頑張れる僕がここ最近思うことである

          やれよやれよともう100回は言った