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幸せだよ

幸せとはなんだろう。
友人のドイツ語の課題で幸せについて書く、というものがあった。

今の自分に問う。
「今自分は幸せか?」
「幸せだ」と思いっきり答えたい。
幸せと答えないと自分で自分をどんどん下げていくような、自分で自分を不幸に追いやっているかのような。
とにかく、良いことはない気がする。

僕にとっての幸せとは、僕が必要としてる人、そばにいたいと思っている人が一緒にいてくれることだ。今、考えてみると両手両足の指を使っても足りないくらい僕には幸せの源(人)でありふれている。


逆に、
「幸せじゃない」
なんて感じてしまう時はどういう時か。それは、僕が必要としている人、そばにいたい人、そんな人が僕を必要としなくなり、僕を忘れ、そばを離れていくときだ。
失恋はわかりやすい例だと思う。
振られた人は、自分を振った相手を忘れられず。
振った人は、振った相手を忘れてしまう。
振った人は、あたかも何もなかったかのように、日々を過ごし、自分がいない生活をとても簡単にこなしている。
振られた人は、そんなことないのに。思い悩み、寝れずに、寝たと思ったら夢に出る。それくらい苦しんで、孤独を感じる。
これが多分、僕にとっての不幸だ。
人に忘れられたとき。人に必要とされなくなったとき。
けど、こんなものは、大いに幸せな人が感じる、ほんの小さな不幸せなのだと思う。
こんな文章をベットに寝っ転がりながら、書いている時点で僕は確実に幸せな人間だ。今もどこかでお腹をすかし、自分が幸せかなんて考える余裕もなく、必死に生きてる人がいる。
そんなことを考えたら、しっかりと自分を幸せだと言わないと、「何言ったんじゃぼけぃ」と先祖の大変な思いをしてここまで繋いでくれた方々にポカポカと頭を叩かれてしまいそうだ。

ふとしたとき、僕は先ほど述べたようなほんの小さな不幸せを感じることがある。仕方がないとは思う。けど、そんなことで「俺は不幸だ」なんていうつもりはない。誰が一度しかないこの時間を不幸だと言って生きようというのだ。幸せか不幸せなんて、自分で決めることだ。僕が今、不自由なく生きているということその時点で幸せ。こんな恵まれた環境にいる僕が不幸なんて言ったら、この世の幸が減ってしまう。
もっと言えば、他人のせいで自分を不幸なんて言うのはとてもみっともない。

自分で自分を嘆いて楽しめるものも楽しまないなんて、そんな生き方する気は毛頭ない。
幸せなんて自分で作り上げて差し上げよう。

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