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サッカー

僕は小学校1年生の時からサッカーを始めた。杉並区のクラブチームで区内では1位2位を争う強豪だった。もちろんコーチも厳しく、僕はよく怒られていたし、時には殴られていた。理不尽なことで怒られたし、きつい走りも経験した。サッカーが怖くなったこともあったし、ボールを受けるのが嫌になったこともあった。
けど、今の僕の中にある強さ(この強さが正解か不正解かどうかは分からないが)は確実に小学校6年間で培われたものだと思う。
区の選抜にも選ばれたし、初めての11人制の大会で10番を渡されたこともとてもよく覚えている。(当時のチームメイトは誰も覚えていないだろうが)多分他の小学生よりボールを扱うのがうまかった、けどあと一歩のところを頑張れない、体を張れないと言われていた。技術はあるが戦えない選手。それが僕に貼られたレッテルだった。そして、これは僕のサッカー人生の課題となった。

中学生になった。東京ベルディのセレクションを受け、不合格となってしまった為、中学校の部活に入った。小学校の頃とは違ってレベルはそこまで高くなかった。1年生の時からベンチに入り、のびのびとプレーしていた気がする。2年生からはタイ、バンコクのクラブチームでサッカーをした。タイのサッカーの特性なのか11人制のサッカーは少なく、5〜8人制が多かった。ここで僕はチームで一番上手いプレーヤーとして活躍した。自信に溢れ、ボールを持てば仕掛ける、ゴールを狙う。チームを勝たせるのは自分という自覚を真に持ちプレーしていたと思う。フィールドが小さかった分、より技術に磨きがかかった。強い相手と戦うのも純粋に楽しみだった。サッカー人生のピークだったかもしれないタイでの2年を経て、僕は日本へ戻った。

高校での3年間。これは小学校の時に似て、レベルが高かった(僕にとって)。Jリーグのジュニアユースや有名なクラブチームでやっていた選手たちとサッカーをするのはワクワクした。1年生の時には3ヶ月くらいだったと思うがAチームに入ることができた。そこからはダメダメだった。2年生3年生と一度もベンチに入ることなく高校サッカーは終わった。走りのメニューはきつく、タイムに入れないことが多かった。身長が大きかったわけでもなく、いつのまにか自分は平凡と自覚するようになっていた。中学生の時に得た自信は井の中の蛙だったのかもしれない。サッカー自体を楽しいと思うことは減っていた。ボールは触れるけど、走れずに戦えない選手。小学生の頃と変わらなかった。引退の時には泣いた。3年間一緒に帰っていた親友と抱き合ったことを今も覚えている。

少しネガティブな文章になってしまったが、僕はサッカーが大好きだ。大学になってもサークルでサッカーを続けたし、10番キャプテンという役割も任せてもらえた。小学生の時、都大会で最初のゴールを決めたのは僕だし、Bチームではあるけど僕が取ったゴールが僕の代の高校最後のゴールだ。今でも笑いあってボールを蹴る仲間に出会えたし、人間としても育ててもらった。
「技術はあるけど、頑張れない」サッカーから僕の人生の課題なようなものももらった。

ワールドカップでメッシを見て、メッシになりたいと心から思った。メッシの姿を見て涙が出そうになった。
リバプールのvsバルセロナのセカンドレグ。圧倒的に不利な状態でも逆転をしたあの夜。涙が出た。
東日本大地震の応援試合のキングカズのゴール。人々に勇気を与えた。
日本代表が格上を倒す姿。国民がワクワクしただろう。
リフティングができなくて毎日練習した日々、走りを終えた日の帰り道、大声を出した応援、よく分からない理由で坊主になったあの日。全部感謝している。

両親もありがとう。送り迎えをしてくれたこと、おにぎりを作ってくれたこと、練習に付き合ってくれたこと、お金を払ってくれたこと、心から応援してくれたこと。本当に感謝しています。

サッカーは素晴らしい。サッカーを愛している。ありがとうサッカー。これからもよろしく。

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