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やれよやれよともう100回は言った

みなさんは死ぬほど頑張ったと言える経験があるだろうか?
多分僕には無い。

おそらく大抵の人は大学受験を頑張ったとか、部活動を頑張ったと言うのだろう。僕は、大学受験は経験しなかったものの、高校受験で難関私立に合格し、幼少期から続けているサッカーも高校卒業まで部活動で一生懸命にプレーしていた。
しかし、振り返っても死ぬほど頑張ったのかと聞かれれば絶対にNOである。
どこかで限界を決め、勝手に手を抜きストップした。

いつになれば死ぬ気で死ぬほど頑張れる

僕がここ最近思うことである。
留学に来て2ヶ月があった。成功も失敗も決めるのは早すぎるし、もちろん俺自身が肯定できれば成功である。

海外に一年住んだ。一人暮らしをしっかりと行えた。単位を取れた。外人の友達ができた。ドイツ語を学べた。英語を学べた。沢山の古着屋を回れた。世界を知れた。沢山の国に旅行に行けた。かわいい外人とデートした。

言ってしまえば、きっと成功にすることはできる。
けど僕は、この一年本気で肯定したいんだ。

本気で死ぬほど頑張って、楽しい思いをして、そして日本に帰りたい。
家でケータイいじってYouTube見てるなんて言う生活を誰が留学だと言うのか。そんなことは日本でやれ。

最近思う、
いつ本気になれるのか

最近思う、
いつ彼らの言ってることが分かるようになるのか

最近思う、
いつ自分の言いたいことを全て言えるようになるのか

これらのことはただ待っていても、ただのんべんだらりんと生きていても何も変わらない。自分が変わらないと変わらない。

あの人が言っていることを理解できるまで
あの人に伝えたいことを伝えられるようになるまで
別にあの人にこだわっている訳じゃない。

悔しい。ただ、自分を伝えられずに終わっていくのが、後悔だけが募っていく感覚が嫌でたまらない。

結局、人間関係を構築する上で最も重要であり、必要不可欠な要素とは言語能力である。

自分で言うのも難だが、僕は多分日本では多くの友人がいる人間だと思う。それはきっと自分自身の明るい性格、分け隔てなく接することができる性格、そこら辺のことがあってのことである。だが、これらは全て日本語のいう大きな土台の上に乗っかり意気揚々と能力を発揮されていたものだ。

明らかにまとまりのない文章になっていると思うが、自分への戒めとして書いているという思いが強いので、気にしない。

とにかく
本気で何かを頑張ってみたい。
死ぬ気でやったという経験が欲しい。

どんな気分になるのだろうか、きっと最高なんだろうなあって思う。
ダラダラと過ごしてきた、この大学生活にも少しは胸張って言える経験が欲しい。

本気になれるの人はぜひやり方を教えてほしい。

どーーーやって継続できるだああああああああああああああああああああああ

これらはやりたくないことに対して本気とかではなく、やりたいし、やらなくてはならないということに対して本気になれないという、怠惰極まりない人間の言葉です。

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