自己肯定感という虚構
序論
最近見たものに自己肯定感の見方を変えられた。
近年自己肯定感とはポジティブに、自分を褒めて落ち込まないこと、そしてこれができないと不幸になると考えられている(気がする)。だから書店ではストレスの向き合い方(「ブッタ流~」や「できる人の~習慣」など)系の本が並んでいるのだろう。
本論
例えば医者になりたい人は医者になるために現在の学力を否定し、勉学に励む。パリコレに出たい人は現在のスタイル、ウォーキングを否定し、それを磨き上げる。
ヒトは不思議なもので別になりたいものがなくても、「良い大学、良い会社」というシナリオに努力できる。将来そこにいって何になるのかという問いを後回しにしても同様の生活ができる。
しかし気づいた時には、現在に満足しないけど、現在を続けなければならない謎の義務に追われ、モチベ維持のために「強い自己肯定感」を持つようになる。もしくは欲するようになる。
きっとこの現象が今の書店をつくっているのだろう。
結論?
昨今のメディアに出て言い切りや強い言葉を使って民衆の心を掴んでいる人は「とりあえず○○大学入るか」や「このビジネス誰もやってないからやっちゃお~」など、考えなくても人並み以上に勉強仕事ができ、そして魅力的なタレント性を持っている人が多いと感じる。
私たちは“将来のこと”を考えずして楽に成り上がる方法を未だに追い求めているのだろう。
しかし私たちにはそんな才能はない。
現在を小手先でどうこうするのではなく、未来にどうしたいかを考える。
ライフネット生命のCEO出口さんの本で人生は「旅と人と本」を大事にしろと言っていた。
この3つが未来を見つめる時のヒントになるのだろう。
出口さんの意図とは違うかもしれないが私自身、途上国を訪れ、師とも呼べる人と出会い、歴史上の出来事に学びを得たことで未来を見つめることが多少できている。
このことを考えると小学生以降考えたことないような“将来の夢”というのはいささか馬鹿にできない。
将来の夢(肯定される将来像)を考え、自己否定を心得る。これが生きるには必要なのかもしれない。
後記
まだまだ己が未熟で言葉がうまくまとまらない。
恐らくもう少し年を取ったら見方が変わってくるのかもしれない。
その時にまた再度編集しよう。
…
この記事を書いて1ヶ月弱、タイトルを「大人な自己との付き合い方」から「自己肯定感いう虚構」に変えた。
意図はこんな感じだ。
そもそも自己を肯定するか否定するかということは考える必要は無く、意識などしない方が幸せだという意見に辿り着いた。
肯定感大事!(世間)▶︎否定は悪じゃないよ▶︎そもそもそんなこと考える必要ないよ(イマココ)
考えれば考えるだけ本来は考えるほどでもないことに執着していく。
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