みんな違う世界


居心地のいい大切な人たちの集まり
=自分が居やすい

わけではないって気づいた(´ー`)

やっぱりわたしは、それなりの人数がいる状態の場合、その視線の多さを感じながら
そこに居続けることが出来ない。
怖い、というか苦しくなってくるのかな。

知らない人ならどうでもいいと考えられるんだけど、顔見知りの集まりはどうもダメなようだ。


福祉をやっていたら、いくらでも症状名の見当はつく。

何が原因なのかも考えれば出てはくる。

以前はそこを言い訳にして背いてたけれど、最近は気づいて受け入れるようになっている。


もちろん社会でやっていくにはなかなか大変。人の話が入ってこないし、その事で頭がいっぱいだから、考えるみたいなことも十分にできなかったり。


じゃあ気遣って欲しいとか、同情して欲しいかというと全くそうじゃない。

たしかに以前は、この症状が何かわからなくて困っていたから、わかって欲しい、、って思う自分もいたけれど。


こうやって公に書いたり、他で共有したりすることも
ただ ”わたしみたいな人もいる”
と知ってもらうことを目的にしているだけ。


みんな違って当たり前なのに、
あなたおかしい。っていわれてしまう世界は悲しいから。

“異なる”ということはある意味孤独だね。
みんな孤独人生コース。

でもわたしはわたしだし貴方はあなた。

そこは依然として変わらない事実。

昨日の気づきも、それが分かっただけで十分じゃないか。

話が変わるけれど
ひとりごとエプロンのじゃがいもグラタンを作った!

さてさて、今日も良い1日にしていくぞ〜!


いけだ

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