羽賀翔一インタビュー「僕にだってドラゴンはいる 2019」
コルク代表の佐渡島庸平(サディ)さんがキャプテンとして運営していて、私が所属する「コルクラボ」にはさまざまな部活やプロジェクトがあり、その一つにマンガ家・羽賀翔一さんの活動を応援する羽賀部があります。
今回は、コルクラボ羽賀部メンバーの一人として、7月26日から開催中の3度目の個展「それから」(場所・根津カレー Lucky(ラッキー))を盛り上げたい!と、急遽、独占インタビューを実施。特に、描き下ろし作品《僕にだってドラゴンはいる 2019》の舞台裏にある、この半年間での羽賀さんの中での大きな変化を知り、noteでも公開することにしました。すでに会場で作品をご覧になった方も、これから足を運んでくださる方にも、ぜひ読んでいただけると嬉しいです!
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異変を感じたかのような目線の龍と、その龍に飛び乗り様子を伺う虎。
その2匹の対角線の視線上に、まっすぐにこちらを見るマンガ家・羽賀翔一さん。
怒りとも決意とも読み取れる感情を爆発させた自画像、これまでの自分に影響を与えてくれた方々の似顔絵、そして、ロンドンの街並み。
本作に詰め込まれたストーリーをご紹介します。
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ーー前回(2019年2月)のインタビューから今に至るまでの半年間で、どんな気持ちの変化があったのか、教えてください。
そうですね。正直なところ、マンガ家と名乗ってはいますが『漫画 君たちはどう生きるか』からなかなか新作が描けていないマンガ家で、まさにどう生きるかが問われている日々でした。
昨年の夏、NHKドキュメンタリー「約束」で、密着取材を受け、そのとき新作『シラナイ一家』を描くとテレビで宣言したにも関わらず、僕はその作品を描き続けることができなかった・・・。『シラナイ一家』は自分を直接的に投影していた部分があったのですが、それを描くには僕にはまだ早すぎたのかもしれません。
マンガの描き方にも迷いましたし、正直に言って、モチベーションも高いとは言えず、上手くいってなかったと思います。
そんな中、『宇宙兄弟』の小山宙哉先生の下でアシスタント続けてこれたり、マネジメントをしてもらっているコルクで、新人マンガ家の人たちと机を並べてマンガを描くようになったことで、もう一度マンガを描くという行為に向き合い始めることができました。
ーー今回の個展用に描き下ろし作品《僕にだってドラゴンはいる 2019》では、何を描こうとしたんですか?
もう一度自画像を描こう。そう決めて、僕はこの《僕にだってドラゴンはいる 2019》を描き始めました。
この作品のベースになっているのは15歳のときに描いた、本作と同名タイトルの《僕にだってドラゴンはいる》です。
僕は『ドラゴンボール』の影響を受けて、子どもの頃から数え切れないくらいの龍を描いてきたのですが、15歳のときに描いた《僕にだってドラゴンはいる》の自画像を思い出し、今の僕がこれからもマンガを描くために必要なこととして、自画像を描きたい、描かなくてはいけないと思ったんです。
マンガを描くことは、自分自身や、自分と周りの関係性を描くことだと、編集者の佐渡島さんにも言われてきましたし、やろうとしてきました。実際にやれたこともあったけど、できてないことの方が多かったなと。
だからこそ今、もう一度自画像を描くことで、これから描こうとしている作品への決意を表したいと思ったんです。
ーー今回の自画像は、羽賀さんのこれまでの絵にはない意思のようなものを感じました。なぜ、こんな表情をしているのでしょうか?
実は、この自画像、下書きではペンを握らせてたんです。この険しい表情は自分の中にある感情だけど、実際にペンを握って描いているときは表には出てこないんですよ。ペンがあることで嘘っぽさが生まれてしまう。そう気づいて、ポーズを変更しました。
さらに言うと、この表情は、自分の中の狂気を表現したかったんです。僕は前に佐渡島さんから「ときどき、人を殺しそうな目をするときがあるよね。話しかけられると優しい目に戻るけど。あれくらい怖い感じで、作品に集中する仕方を見たい。」と言われて。
確かに、そういう狂気というか、鋭さのようなものが自分の中にもあるんですが、これまでの作品では、そういうものを絵として表現する機会すらなかったんです。
だからこそ、今は「これを絶対に届けるんだ」という想いで、強い絵を、迫力のある絵を描きたいんです。コンテンツの強さは、描き手の気持ちの強さとリンクすると思うので。
それに加えて、デジタル化が進んで行く中でのアナログにしか出せない魅力の1つが大きさだと考え、キャンバス3枚をつなぎあわせた結果、これまでの僕の作品の中でも最大級の大きさになりました。一方で、水性グラファイトクレヨンで描き、一見、水墨画のような静けさ・繊細さの中にあるしなやかな強さへの表現にも挑戦しています。
ーーそれにしても、本当に多くの人たちがこの作品に描かれていますね。中には私も知っている人が何人かいるのですが、本当にそっくりで驚きました!
この絵には「これまで」の自分をつくってくれたものと、「これから」の自分をつくってくれるであろうものを、詰め込みました。
33歳の僕が今こうしてマンガを描き続けることができているのは、これまで出会った方々、かけてもらった言葉によるところが大きいです。
だからこそ、そんな方々の似顔絵を描く感覚でやってみるのはどうだろうと思ったんです。
僕にとって、似顔絵というのは、つかんだと思った瞬間に逃げていってしまうもの、終わりがないというか…こうすれば描ける、ということがないものです。写真をトレースしても似せられない。つまり何を描いているかというと、本人がまとっている空気感・視線など総合したものなんですよね。
この作品には90人近くの人たちが登場します。彼ら一人ひとりの表情・雰囲気にも目を通してもらいたいと思って「目の動線」を意識した構図にしました。
左側にいる馬はやや唐突に見えるかもしれませんが、ここに馬がないと視線が流れてしまうんですよね。実はこれは藤子不二雄Ⓐ先生の『まんが道』に出てくるパラパラマンガの馬のオマージュです。
同じく左側には、家族や親族、そして『漫画 君たちはどう生きるか』のコペルくんのヒントをくれたいとこのお子さんなど、僕の幼少期や人生そのものに大きな影響を与えてくれた大切な人たちを中心に描きました。
次に中央、僕の肩には、今準備中の次回作のモデルになる夏目漱石と正岡子規がいます。ロンドンにいた漱石と日本にいた子規は、お互いに作品の感想を伝え、切磋琢磨していたそうです。
子規は、他界する直前、ロンドン留学中の漱石に「最後に手紙がほしい」と伝えたのですが、漱石は書けなかったんですよね…その後、作家デビューした漱石にとっては、作品自体が子規への手紙みたいなものでは?と僕は解釈しています。そこにはきっと強い気持ちがあったのではないか、と。
今、僕はコルクインディーズ というレーベルに所属する新人マンガ家の人たちと机を並べて、切磋琢磨しているんですね。おこがましいとは思うのですが、その関係性は、漱石と子規の関係に近いのではないかとひそかに思いながら、新作をつくっています。
そして右側。マンガ家になって出会った尊敬する方々、アシスタントをさせてもらっている『宇宙兄弟』の小山宙哉先生やアシスタント仲間、編集者の佐渡島さんや、僕もクリエイターとして所属しているエージェント会社コルクの仲間、そして、一緒に励まし合いながら頑張っているコルクインディーズのマンガ家たちがいます。僕のマンガ家人生を支えてくれている、本当にかけがえのない人たちです。
ーー今、描き終わってみて、どんな気持ちでしょうか?
ここで描いた一人ひとりの人と僕との物語を自分なりに反芻し、それを絵に凝縮していくという行為自体がとても楽しいものでした。
これだけの人たちを描いたことで、僕は自分がどんな人生を歩んできたのか、子どもの頃から現在に至るまでのさまざまな強い感情が呼び起こされましたし、それは自分と向き合う作業でもあり、その深い内省によって、今の僕の持つすべての力でこの絵を描き切れたなと。
だからこそ、次の作品はこの絵を描く延長で描こうと思っています。
今のこの絵は、熱量があるのはなんとなくわかるけど、描いた僕が一番楽しんでいる絵だと思うんです。
でも、今から描こうとしている漱石と子規の作品を描き終わったあとにこの絵を見てもらえたら、何か違うものを感じてもらえるかもしれないと思っていて、期待でワクワクしてるんです。
マンガ家を目指していた15歳の僕が描いた《僕にだってドラゴンはいる》と、今の僕が描いた《僕にだってドラゴンはいる 2019》を楽しんでもらうとともに、もう少し時間はかかってしまうと思うんですが、新作も期待してもらえたらと思います。
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羽賀翔一さん個展「それから」開催情報
期間:
7月26日~8月16日
※根津カレーLucky(ラッキー)の営業時間中のみ
[火~土] 11:30~14:30 17:30~21:30 [日] 11:30~14:30
場所:
根津カレーLucky(ラッキー)
東京都文京区根津1-16-13
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