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お母さんは、私にどうしてほしいの?

しまった。

そう思ったのに、非難めいた、いや非難の言葉が口から漏れてしまったことは、誰しも一度はあるはず。私なんて数えきれないくらいある。

10日ほど前のこと。

実家の荷物整理や、新型コロナウィルスの影響での生活の変化、私の体調やこれからの仕事の話など、久しぶりに会った母とアレコレ話していたら「そんな考え、お母さんの時代にはありえない」「東京ではそうかもしれないけど、こっちではそんなことはできない」「ご近所の人たちや、親戚の人たちにどう思われるか...」と語り始めた。

「誰からどう思われようが、自分で決めたことだから」としばらくの間は聞き流していたものの、何度も繰り返されるうちに

「お母さん自身は、いったいどうしたいの?私にどうしてほしいの?」

と、思わず声を荒げてしまった。

それまで向かい合って座っていた白髪交じりの母の顔が大きく歪み、目をそらされた。罪悪感でいっぱいになってしまった私も、強く握りしめたコップを睨むように見つめていたので、母が泣いたかどうかはわからない。

その後、お子様すぎる私は、夕食を食べずに部屋にこもった。母は私の分も含めた家族全員分の夕食を用意してくれていたのに。

翌朝、何事もなかったかのように母は振舞っていた。いつものように父の朝食をつくり、兄の出社を見送り、私の面倒を見ていた。

それなのに、私は今も謝れていない。
どうして、ただ一言「ごめんね」が言えないのだろう。

そんなことを考えながら、今日、私は 山田ズーニーさん による表現ワークショップに参加した。所属しているコミュニティ コルクラボ内でのイベントだ。

2020年8月22日の私が何を考え、どうしたいのか、それをどう母に伝えればよいのか。短い時間ながらも、必死で考えた。

ベースにあったのは「私を理解してほしい」という叫び。「どうしてわかってくれないの?」という苦しさ。これまでに何度も同じようなことがあり、その度に私は傷ついていたのだ。

でも、母に「傷ついた」という事実を直接伝えても理解を得ることは難しい、また母から謝罪が欲しいわけでもない。どうすれば、母と私は対話を始められるだろう?

ズーニーさんが言う、小さな問いを繰り返しながら、自分と通じ合う瞬間を探していった。そしてワークショップで完成した文章は、結局のところ何のひねりもない文章になったけれども、私が「母と対話したい」という気持ちが、壊れないように、壊さないように、そっと乗せている。

そこに嘘偽りがないから、自分を解放できたような気持ちを、いま手に入れている。

今夜、母と話そう。そう決意させてくれた今日のこの時間に感謝したい。

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いつも家族を優先しようとする母に、いま伝えたいこと

「私にどうしてほしいんだろう?」

私は子供の頃から正解を探し、親の顔色を読む子どもだった。

7歳から10年間、ピアノを習っていたけど、やめたくてたまらなかった。母に何度かそうほのめかすと「やめないで」と泣きそうな顔をされて、ただ続けた。ようやくやめられたのは、実家を離れたとき。それ以来、ピアノカバーを開いたことはない。

高校では、美術コースに進みたかった。
でも「就職が大変だからやめなさい」と言われて「なるほど、世の中には選んで良いものと悪いものがあるんだ」と、大学進学コースを選んだ。

親の意見をきくのが当たり前だと思っていた私は諦めるのに慣れてしまったし「決めたのは自分、親のせいにしてはいけない」と、ずっと苦しかった。

社会人になって「親とはいえ、意見に従わなくてもいいんだよ」「小さなころから我慢していたんだね」と言われて、正直、救われた。そこでやっと「自分で決める」の意味がわかった。

とはいえ、ついカッとなってしまって「何が言いたいの?どうしてほしいの?」と先日も母に大声を出してしまった。久しぶりに会う母は、白髪が増え、背中が少しまがって、それでも私のことを真っ先に心配してアレコレ言ってくれているとわかっているのに。

だから、今夜、この言葉を伝えよう。

「私は自分で決められるから、もう大丈夫。でも、それは助けがいらないということじゃない。だから、これからも頼らせてほしい。私は、いつまでもお母さんの娘だから。」

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