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愛は25年の時を越えて

令和3年3月3日、3並びのこの日、友人のゆきえちゃんは"ひなまつり女子会"を企画した。

着物好きのゆきえちゃんが、手持ちの着物を貸し出して着付けてくれて、パワースポットである自宅で、着物姿でお寿司をいただく。お寿司は、ゆきえちゃん御用達の寿司職人がその場で握ってくれる。

彼女の自分ビジネス第二弾の構想をワクワクしながら聴いたとき、ふと、25年前の結納の席で義母から贈られた大島紬の着物を思い出した。ゆきえちゃんの会でその着物を着てみたいと思った。

25年前に贈られた着物

この25年、時折、着物のことを思い出し、せっかくもらったんだから着ないと申し訳ないとずっと気になっていた。でも、大島紬は訪問着ではなく日常で着る着物だと知り、着付けができない私はいつ着ればいいのか途方に暮れた。

そんなこんなで、気がつけばなんと四半世紀の歳月が流れていた。

久しぶりに箪笥から着物を出してみると、着物から羽織、長襦袢、帯、帯揚げ、帯締め、バッグ、草履にいたるまで一式揃っていた。

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繊細な柄が美しい、金色がかった上品な着物
アンティークな模様の赤い帯
オレンジ色の明るい帯締めと帯揚げ

素敵な組み合わせに心ときめいた。
ゆきえちゃんがあらかじめ下準備を全てやってくれるということで、事前に着物一式を送った。

自分の好きなことで経済を循環させる

当日、私は参加者のテリーに着付けてもらった。
2年前に着付け教室に通い始めて着物にハマったテリーは、「当日、皆さんの着付けをお手伝いします」とゆきえちゃんに申し出た。
その申し出がありがたく、嬉しく思ったゆきえちゃんは、仕事として着付けサポートをテリーに依頼した。着付けを仕事にしていないテリーは、「資格は取ったけれど、まだ教室の生徒同士でしか着付けをしたことがないんです。一般の方を着付けさせてもらえるだけで勉強になるから、お手伝いでwin-winですよ」と返事をした。
すると、ゆきえちゃんからさらなるメッセージが。

「未来に好きな着物を通して収入を生み出せたら嬉しいと思えるなら、ぜひ今回、現実体験しませんか。私は喜んでお支払いします」

ゆきえちゃんにとっても、自分の好きなことで経済を循環させるというのは夢の一つだった。
メッセージを読んだテリーは、なんて素敵な愛がある考えなんだろうと感激した。未来を想像してワクワクして、その愛を受け取ることにした。

こうして私は、テリーの着付師デビューの日に着付けてもらうというご縁に恵まれた。

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着付けの段階で、背筋がピンとして着物の気持ちよさを実感した。所作も自然とゆっくり丁寧になる。私の中に眠っていた女性性が引き出される感じがした。

着付けが終わった私を見て、「ゆっこちゃん、めちゃくちゃ似合ってるから、そこの姿見で自分を見てみて!」とゆきえちゃんが声をかけた。

鏡に写った自分の姿を見たとき、ああ、なんて素敵なんだろうと素直に思った。嬉しくて、思わず「いいところの奥さんに見える 笑」と言ったら、みんなが笑いながら同意してくれた。

「まるで今のゆっこちゃんに合わせて用意したかのようにピッタリやな。ホンマに似合ってるよ」

そんなゆきえちゃんの言葉が心に沁みた。

義母との関係性は長いこと私の悩みの種だった

25年前、私は義母の怒りを買ってしまい、結婚前から暗雲が立ち込めた(と私は感じた)。この気性の激しい強いお義母さんとやっていけるのか不安になった。彼のことは好きだったけど、結婚をしばし躊躇した。

心理学を学んだ今であれば、まずは私の中の不安や怖れにもっと寄り添い、丁寧に自己対話すると思う。人それぞれ反応は違うから、怒りを選択しているのは義母であって、私の問題ではないということも分かる。その上で、義母の思いを聞いて、私の思いを伝えるだろう。

結婚しても、義母との関係性は長いこと私の悩みの種だった。一言で言うと、義母は私が友達にならないタイプの人だった 笑。何か意味があって義母と出逢ったんだろうと思いながらも、なかなか答えが見つからなかった。

あるとき、義母の嫌なところを紙にリストアップしてみた。
それぞれのことに対して自分の考えを書いていったとき、そのほとんどが「〜すべきではない」だった。
(例えば、自分の考えを人に押し付ける。→自分の考えを人に押し付けるべきではない。)
他人に対して思っていることは、自分に対しても思っていること。
視覚的に捉えられたことで、私は、自分に対して「あれをしてはダメ、これもしてはダメ」とたくさんのことを禁止していたんだと気づかされた。
どれほど自分に禁止して、自分を縛っていたのかに初めて気づいた私は、その事実に愕然とした。
このことに気づくために、私は義母に出逢ったのかもしれないと思った。

そして、心理学を学び、いい娘・いい嫁・いい妻・いい母を演じているから苦しかったんだと気づき、NOを言う練習をすること、境界線を意識して心地よい関係性を築くこと、YOU(あなた)メッセージではなくI(私)メッセージを使うことなどを学んで、一つひとつ実践していった。

それでも、義母とは分かり合えないという諦めがどこかにあった。そんな義母との関係性が、昨年あたりから次第に変化していったように思う。

私は、誰も我慢しない世界を望んだ

自分の心に正直に生きると決めてから、私は我慢することをやめていった。それは自分自身を許していくことでもあった。

昨年、病を患った母と、母の代わりにすべての家事をすることになった病気持ちの父を必死にサポートしてきたが、母のせいで自分のやりたいことが思うようにできないと不満が募った。足を引っ張られていると感じた。

そんな私に夫は、「誰もあなたを強制していないよ。ただ、あなたがこの事態を放っておけなくて、実家に行くことを選んでいるだけだよ」と言った。痛いところを突かれた。でも、ハッと目が覚めた。

そう、私は病人を放っておけなかった。「実家に行かない」という選択は、私にとっては病人を見捨てること。「見捨てる」というのも私の思い込みだったと、あとから気づいたのだけれども、当時は罪悪感があって選択できなかった。でも、結局、我慢してやりたくないことをやっているから、本当は自分が選択しているのに、人のせいにしたくなるのだと気づいた。
”私が実家に行くことを選んでいる。”
自分の心に正直に生きると決めたのに、「母が病気だから仕方がない」と例外を作って自分に我慢させていた。私だけでなく、家族全員が少しずつ我慢していることにも気づいた。父も、母も、私も、妹も。

私は、誰も我慢しないで、みんなが心地よく過ごす世界を望んだ。

私だけでなく、みんなにも我慢をやめてほしいと思った。だから、まずは私から我慢することをやめた。サポートしたいときにだけすると決めた。

とはいえ、決めるのには勇気と覚悟が必要だった。心と身体がリラックスした状態で自己対話するために、近所にあるお気に入りの温泉に入りに行った。

「わがままだとか、薄情だとか思われるかもしれない。誰にも分かってもらえないかも。でも、私が私を分かっているんだから、それでいいじゃない。大丈夫だよ」

帰宅して、私の想いを夫に聴いてもらった。
「ぼくも分かってるよ。ぼくは親やきょうだいじゃないから、あまり意味はないかもしれないけど」という夫の言葉が、私の胸の中に温かく広がった。
意味ないわけないじゃん。一番近くにいる人が私を分かってくれていることほど嬉しいことはないよ。夫にそう伝えた。

腹が決まったから、翌朝、私の胸の内を正直に父と妹に伝えた。
その後、朝陽を浴びながら日課の瞑想をしていたら、いつの間にか涙がポロポロと溢れてきた。それは、自分を大切にできた喜びの涙だった。

私だけが実家のサポートをしていないという罪悪感に襲われることもあったが、それでも「行きたくないときは行かなくていいよ。行きたくなるまで待とう」と自分に声をかけ続けて、自分が心地よいと感じること、好きなことをやって過ごした。

そんなある日、母の状態を知った義母は、心配して電話をかけてきた。
「なるべくお母さんのところに行ってあげて」と言われ、私は、「自分が行きたいと思ったときにだけ行きます」と返事をし、私の想いを伝えた。

義母は、そんな私のことをなんてひどい人だと思ったらしい 笑。
でも、しばらく経ってから、「よくよく考えてみたら、自分が我慢しない生き方の方がみんな幸せかもしれないね」と言った。

今は、私がサポートをしたいと思ったときにサポートをしているため、両親と心地よく過ごせるようになった。少しずつだが、母にも明るい兆しが現れ始めた。そんな変化を義母も喜んでくれている。

noteに文章を書いていることを義理の両親に知られる

そして、最近、ひょんなことから、私がnoteに書いている文章を見つけた義父は、その文章を印刷して義母に渡した。義母は、私が書いたエッセイやインタビュー記事を読み、電話をかけてきた。

「インタビュー記事を読んだわ。ライターデビューおめでとう。お祝いしなくちゃね」

普段、本を読まないと言っていた義母が私の文章を読んでくれた。思いがけないことに驚きながらも、義母の気持ちがとても嬉しかった。

義母との関係性がよい方向に変化している今が、もしかしたらあの着物を着るタイミングなのかもしれない。ゆきえちゃんの企画を知って、そう感じた。

着物に袖を通してみて、「せっかく貰ったから着ないと」と思っていた時期ではなく、「この着物を着てみたい」と思えたタイミングで着られて本当によかったと思った。おかげで、結婚を楽しみにしてくれていた義母の愛を感じ、受け取ることができた。感謝の気持ちが自然と湧き上がってきた。

丁寧さは愛だ

ゆきえちゃんの会に向けて準備を進めている中で、着物を着るのが楽しみになっていた私は、あるアイデアを思いついた。

毎週、大好きな百合の花を自宅に届けてもらっているというゆきえちゃんのインスタの投稿がきっかけだった。

私が好きなフローリストさんの花束を持って、みんなで着物姿で写真撮影をしたら、さらにテンションが上がって楽しいかも!そして、最終的にはその花束を、お花好きのゆきえちゃんにプレゼントしたい!

そこで、ゆきえちゃんの想いや会の雰囲気を伝え、会のイメージに合った花束を作ってもらうことにした。
ゆきえちゃんの会の前日が結婚記念日だった私は、自分たちのためにも花束が欲しいと思った。私の花束は、着物に合わせて作ってもらった。
また、お花好きの義母にも、着物への感謝の気持ちを込めて花束を送ることにした。

私たちの想いを受け止めて作られた花束は、とても美しく華やかで、会に彩りを添えてくれた。花束には、見えないところにまで丁寧な処理が施されていた。ゆきえちゃんは、「丁寧さは愛だ」と言った。

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着物姿でいただく食事は特別なものだった。
寿司職人の握った新鮮なお寿司、参加者のふじさんがゆきえちゃんの依頼で作った春らしいヴィーガンのデザートプレート。丁寧な仕事に愛を感じながら、私たちは喜びの中で時間を忘れて語り合った。

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義母の愛を受け取ったら感謝の気持ちが返ってきた

素晴らしい会が終わり、帰宅してから着物姿の写真を義母に送った。

電話口の義母は、弾んだ声で
「着物を着てくれて本当にありがとう。嬉しかったよ。とってもよく似合ってる。息子も惚れ直すわね 笑。コロナのこの時期に、明るい話をありがとう」
と言った。
着物をプレゼントしてくれたのは義母。私はその着物を着て、義母の愛を受け取っただけだったけど、ありがたいことに感謝の気持ちが返ってきた。喜びは、新たな喜びを生んだ。

実は義母は、私たちのために着物を仕立てたときに、自分用にも仕立てていた。

「しつけをしたままの大島紬があるから、あなたにあげるわ」

着物を着る喜びを知った私は、自分のために用意した着物を義母に着てもらいたいと思った。

「でも、自分で着付けができないし、着ていくところもないから」

と言う義母の言葉を聞いて、私の中に新たな望みが湧いた。

夫の実家で、私が、義母、夫、娘に着物を着付けて、着物姿で一緒に写真を撮りたい。そうだ。写真は、昔、地元の新聞社でカメラマンとして働いていた義父に撮ってもらおうか。
まずは、着付けを習ってみよう。

亡き父からの思いがけないプレゼント

会が終わってから、私たちは参加者のみっちゃんの物語を知った。

会当日、すし職人のウラさんがお寿司の準備をしていると、みっちゃんは「お仕事の様子を見ていてもいいですか」と聞いて、椅子にちょこんと腰かけて、カウンター越しにウラさんの仕事をじっくりと熱心に見つめていた。その二人の様子がいいなあと思った私は、何気なく写真を撮って、あとから彼女に送った。

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すると、みっちゃんは思いの外とても喜んで、自分の物語をシェアしてくれた。

実は、みっちゃんは寿司屋の娘だった。
子どもの頃、父の仕事をいつもこんな風に眺めていた。そして父は、ネタにならない刺身をみっちゃんの小さな口に放り込んだ。そのひとときは、とても幸せな時間として今もみっちゃんの心に刻まれている。ゆきえちゃんがこの企画をしたことで、みっちゃんは再びそのときの感情を味わうことができたのだった。

これは、今は亡き父からのプレゼントだったとみっちゃんは感じた。というのも、みっちゃんは「お前が男だったら(跡を継いでもらえて)良かったのに」という父の言葉をずっと握りしめて生きてきたから。生前に、その言葉に傷ついたことを父に伝えると、「すまなかった。愛しているに決まっているだろう」と父は言った。その言葉が、今回、ようやく腑に落ちたという。
みっちゃんのお父さんの愛とみっちゃん自身の癒しを感じた私は、思わずもらい泣きをした。

ゆきえちゃんの「やりたい!」で生み出された今回の企画は、愛と喜びと感謝とお金のエネルギーがぐるんぐるんと循環して、たくさんの奇跡をもたらした。


誰かの望みは、他の誰かの望みに繋がっている。


ゆきえちゃん、どうもありがとう。
あなたのおかげで、25年の時を越えて義母の愛を受け取れました。


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