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正岡子規『はて知らずの記』#06 七月二十三日 南杉田→二本松

(正岡子規の『はて知らずの記』を紹介しています)


二十三日暁起、
昨夜、時鳥、
頻りに鳴きたればとて
 奥の細道の跡を遊観せらるる子規君を宿して

草深き 庵やよすがら ほととぎす 菓翁

礼を述べて、其家を辞す。

幾曲り曲りて
長き二本松の町を過ぎ、
野を行く事半里、
阿武隈川を渡れば
路の側、老杉あり。
木末も、枝のさきも
大方に枯れ残りて
鬼女の爪の如し。
下に碑を建てて
黒塚といふ。
兼盛の歌を刻む。
其ほとりにある寺は
鬼のすみかなり、
と聞きて到り見るに、
杉樹鬱葱、巨石堆積して
常の処とも見えず。
寺僧をおとなふて
賽銭、若許を投ず。
伴ふて、石頭の一小堂に到り、
其扉を開きて、誘ひ入る。
老僧、壁上の画を指し、
函中の古物を示し、
容を斂め、袈裟を正し、
咳一咳して、
徐ろに、其縁起を説き出でぬ。

木下闇 ああら涼しや 恐ろしや

阿武隈川の橋本に、茶屋あり。
ここにやすらへば、
あるじの翁、年は七十にもや及びつらん
茶など汲みて、心ろよくもてなす。
家は、やうやう畳四ひら五ひらを敷きて、
中に、炉を切りたり。
屋根は、半ば壊れて、
雨はもとより、月も漏りぬべく、
四隅の柱だに、腕よりも太からねば、
そよふく風にも、ゆるぐなるべし。
四方山の物語りなどする序に、
翁、いふ。
さる年の洪水に家を流され、
其後の火災に家を焼かれ、
今はただ、かかるあばらやに
うき世を頼みて生き残る老の身は、
あふ隈川の浮む瀬もあらで、
安達が原のあだに暮し侍る許りになん、
と語りて、頻りにほほえむさま、
天を恨まず、人を尤めず、
自ら楽んで、
外に待つ無き者の如し。
いよいよ、たふとくも思はるるままに、
風流の事、談ずれば、
翁、亦善く風流を解す。
座に一片の紙あり。
歌やうのものを認めたり。
誰が歌にか、と問へども、
答へず。
翁ものせしにや、といえば、
いよいよ笑ふて、ものいはず。
取りて見るに

 黒塚の 鬼の岩屋も 苔むしぬ
  しるしの杉や 幾代へぬらむ 光枝

とあり。
果して、世を厭ふて
黒塚のほとりにこもる隠君子にはありけり、
と、ひたすらになつかし。

翁に別れて、満福寺へと志す。
二本松を横ぎりて、野に出づれば、
畦道、あちらこちらに別れて
山にかかるに、
何れの道にか、と問ふべき家もなし。
坂一つこえて、人に聞けば、
さては、路に迷はれたり。
寺は此山の裏にぞ、あなる。
いただきに見ゆる高き松の下に
樵夫の通ふべき路あれば、
かしこより行き給へ、といふ。
教へらるるままに、
細き道を攀じ上る、
蛇は怖れて、杖のさきを走り、
名も知らぬ蟲は驚きて、眼の前を飛び渡る。
山、深からねども、
人、通はねば、
松吹く風、身に入みて、
赤き茸、白き草花、
皆な仙家の趣きあり。

下闇に ただ山百合の 白さかな

目の下の木の間に見ゆる屋の棟こそ
寺なめれ、といそぎ下れば、
家は隠れて、方角を知らず。
森に沿ふて行く事、一二町、
左に曲れば、忽ち家あり。
太神宮を祭りし宮なり。
宮の境内に立ちて見下す程も無く、
仏宇、稍低く隣れり。
ここにおとづれて、
雅俗の話、打ちまぜながら、しばしくつろぐ。

山寺の 庫裏ものうしや 蝿叩

当寺は、天台二祖の開基にして、
飯出山満福寺といふ。
石階、数百級の高さに
山を削り、木立を開きて、
数十畝の平地あり。
村遠く、山静かにして、
まだ老い残る鴬の声は、
蝉蜩の木末にせり合ひ、
稍、鳴きそめし蟋蟀は、
昼も、夏草の底にすだく。
むかしは、七堂伽藍、
美を尽くし、善を尽くして
荘厳の道場なりしを、
数年前の火災に、
六百年の建築、一片の灰燼となりて、
諸行無常色即是空のことわりを
眼の前に示したるこそ、うたてけれ。
今は、仮普請の儘にて、
仏宇も、ただ人の住居に異ならねば、
仏も、永劫の間には
因果を逃れたまはず、と見えたり。
御社は、維新前の両部の名残なりと聞くに

すずしさや 神と仏の 隣同士

山号、飯出山といふ事、
めづらしき名なり。
如何なる意にや、と問ふ。
蓮阿氏、いふ。
そのかみ、義経公、奥州へ没落の節、
此処に立ちよられしかば、
寺より飯をまゐらせけるに、
弁慶、此寺の山号は、と尋ぬ。
いまだ山号なきよし、
住僧、答へければ、
然らば、飯出山といふべし、
と、弁慶自ら名づけたるよし、
言い伝へたり、と。

水飯や 弁慶殿の 喰い残し

月明りに行水をすませて、
庭前に広敷をならべ、
団扇は蚊を逐ふの道具に残して、
葉柳の風に涼む。
杉、高うして黒く、
月、低うして青し。

ひろしきに 僧と二人の 涼みかな

御仏に 尻向け居れば 月すずし

留めらるるままに、一泊す。
仏龕に隣りて、書院の真中に寝ころびたるも、
我身、此世ならぬ心地す。

寺に寝る 身の尊とさよ すずしさよ


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