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『はて知らずの記』の旅 #1 正岡子規の奥の細道
正岡子規に『はて知らずの記』という作品があるのを、ご存知だろうか?
自分がそれを知ったのは、福島の飯坂温泉を歩いている時だった。
案内板によれば、子規は松尾芭蕉を慕って、『おくのほそ道』のルートを辿ったらしい。その旅日記が、当時の新聞に連載された。
『はて知らずの記』は、正岡子規版『おくのほそ道』と云えそうである。
![](https://assets.st-note.com/img/1716347266084-W7qErdZkYv.jpg?width=800)
芭蕉は歩いたが、子規は汽車を使ったらしい。
鉄道の旅なら、自分にも再現できるのではないか?
そう思ったのが、この作品に興味を持った最初である。
それに、何よりタイトルが気に入った。
は・て・知・ら・ず・の記――
全集に収録されている『はて知らずの記』は、三〇ページほどの短い作品だった。
俳句のことはよく解らないが、読んでみたら、意外に愉しめた。
松島の風、象潟の雨、いつしか、とは思ひながら、病める身の行脚、道中覚束なく、うたた寝の夢は、あらぬ山河の面影、うつつにのみ現はれて、今日としも、思ひ立つ日のなくて過ぎにしを、今年明治廿六年夏のはじめ、何の心にかありけん
松島の 心に近き 袷かな
と自ら口すさみたるこそ、我ながら、あやしうも思ひしか、つひにこの遊歴とは、なりけらし。
言葉が旧くてボンヤリとしか理解できないが、「松島」「象潟」とあるから、『おくのほそ道』が意識されていることは間違いない。
先づ松島、とは志しながら、行くては何処にか向はん。ままよ、浮世のうき旅に、行く手の定まりたるもの、幾人かある。山あれば足あり、金あれば車あり。脚力尽くる時、山、更に好し、財布軽き時、却て羽が生えて、仙人になるまじきものにもあらず。自ら知らぬ行く末を楽みに、はて知らずの日記をつくる気楽さを、誰に語らんとつぶやけば、魍魎、傍に在りて、うなづく。乃ち以て、序と為す。あなかしこ。
「自ら知らぬ行く末を楽みに」とある。
「はて知らず」とは、芭蕉の旅の跡を追うことを基本としつつも、「行先を決めず」の意味らしい。
結果的に子規が旅したルートを大雑把に整理すると、次のようになる。
上野→宇都宮→白河→郡山→二本松→福島→飯坂温泉→仙台→松島→作並温泉→大石田→酒田→由利本荘→秋田→八郎潟
はて知らずの「はて」は、秋田県の湖になった(当時はまだ干拓されていない)。
戻りのルートは、次である。
八郎潟→秋田→大曲→ゆだ→北上→水沢→上野
出発は七月一九日、帰還は八月二〇日だから、夏の暑い盛りを、ひと月かけて旅行したことになる。
以上のルートのうち、子規はどこで鉄道を使ったのだろう?
途中下車して歩いたり、舟を使ったりした処もあるが、大雑把に云えば、次である。
行きは、上野駅から仙台駅まで
帰りは、北上駅から上野駅まで
現在のJR東北本線の一部、たったこれだけなのである。
では、太平洋側から日本海側に出るのにどうしたかと云うと、歩いているのである。
例えば、仙台から秋田まで歩くなど、どうかしている(途中、最上川で舟に乗ったとはいえ)。
ここまで調べた時点で、子規の旅を現在に再現するのは、自分の脚では無理、ということがわかった。
子規はこんな過酷な旅を、何歳でやったのか?
子規は一八六七年一〇月の生まれである。
旅した「明治廿六年」は一八九三年だから、二五歳であった。
その若さなら頑張ればできる、と思われるかもしれないが、子規は二一の歳に喀血している。
作品の冒頭に「病める身の行脚」などとあるのは、そういうことである。
はて知らずの旅をしたとき、子規の体調はまったく万全ではなかった。
実際その後、二八歳で脊椎カリエスと診断され、『病床六尺』という作品があるように、三四歳で亡くなっている。
子規は、命を削る覚悟で、この旅に臨んだものと思われる。
ところで、芭蕉の『おくのほそ道』は有名過ぎるほど有名だが、子規の『はて知らずの記』は、あまり知られていないのではないか。
図書館に行っても、『おくのほそ道』のルートを辿りました、という類いの本はズラリと並んでいるのに比べ、『はて知らずの記』をテーマにした本は、ホンの二、三冊しか見つけられなかった。
この差はあまりにも不当ではないか。
『はて知らずの記』の知名度を高めたい。
それに、芭蕉が旅したのは三〇〇年以上も昔なのに比べ、子規が旅したのはホンの一三〇年前だ。
子規が見て書き残した風景は、現在にもそのまま残っているのではないか、と期待される。
子規の文章を旅のよすがに、東北地方を巡ってみるのも悪くない、という気がしてきた。
そこで、『はて知らずの記』に登場する地を、鉄道を使ってスポット的に訪ねる、という企画を考えた。
訪問地の順序はバラバラになるだろうし、何回に渡るかも「はて知らず」だが、今後〝『はて知らずの記』の旅〟シリーズとして、不定期に書いてみたい。
(次回に続く)
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