正岡子規『はて知らずの記』#14 七月三十一日 仙台(南山閣)
(正岡子規の『はて知らずの記』を紹介しています)
知人のいる別荘でマッタリ。
三十一日、旧城址の麓より
間道を過ぎ、
広瀬川を渡り、
槐園子を、南山閣に訪ふ。
閣は、山上にあり、
川を隔てて、青葉山と相対す。
青葉山は、即ち城址にして、
広瀬川は、天然の溝渠なり。
東は、眺望、豁然と開きて、
仙台の人家、樹間に隠現し、
平洋の碧色、空際に糢糊たり。
主人、自ら風呂を焚きて、
もてなしなどす。
雲烟風雨の奇景を
眼下に見下しながら、
歌話、俳話に、一日の閑を消す。
雨晴れて、
海天、相接するのほとり、
微光を漏らすものは、月なり。
色、赤くして、稍、黒し。
一片の凄気を含む。
槐園も同じ心を
勧めらるるままに、一泊す。
南山閣(現、国見五丁目十三番二十号)に鮎貝槐園を訪ねる。
南山閣は上山静山の別荘。槐園は与謝野鉄幹と東北旅行中。(全集第22巻)
南山閣は、仙台藩士石田準直が父元直の耳順(六十歳)を記念して、安永年間に建造したものであるが、明治に入って、俳優として知られた上山草人(三田貞)の父上山静山の所有に帰し、上山家の別荘として用いられた。医を業とした上山静山は、自から詩を賦す風流の士であって、小倉茗園・土井晩翠・大須賀筠軒らとも親交があり、また宮城県本吉郡松岩(現在気仙沼市)の邑主である鮎貝家の落合直文・鮎貝槐園の兄弟ともしばしばこの閣に遊ぶことがあった。当時の南山閣は、そうした文学者のいわばサロンになっていたのである。(久松潜一、實方清編『日本歌人講座 第六巻 近代の歌人Ⅰ』 弘文堂 1969)
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