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正岡子規『はて知らずの記』#28 八月十四日 一日市→秋田

(正岡子規の『はて知らずの記』を紹介しています)

湖を眺めて、引き返す。


十四日、庭前を見れば、
始めて
蕗葉の大なるを知る。
宿を出で、
北する事、一二里、
盲鼻に至る。
丘上に登りて
八郎湖を見るに、
四方、山、低う囲んで
細波、渺々、
唯、寒風山の屹立する、あるのみ。
三ッ四ッ、棹さし行く筏、
静かにして、
心遠く、
思ひ、幽かなり。

秋高う 入海晴れて 鶴一羽

八郎につきて口碑あり。
大蛇の名なり、とぞ。
引き返して、
秋田の旅亭に投ず。


盲鼻(→三倉鼻)

三倉鼻は湖上の眺望第一に押されてをる。が、汽車が通じ、国道が穿たれて、殆ど旧観を止めぬやうになつた。子規子の来た当時はまだ見るべき松の大樹が丘上に林をなしてをつて、其松の木の間から湖を見るやうな景であつた。今は其松の樹など一本も残つてをらぬ。尚ほ近頃はここを郡の公園にするというて、台のやうに土を盛つたり、付近の山々に松や躑躅を植ゑつけたといふ。汽車道の上に山から山へ空橋を架ける計画にもなつてをるさうな。日比谷公園で見るやうなペンキ塗の白い板にパークと英語で書いた立札が目につく。/三倉鼻の下に糠森といふ小さな尖った丘がある。三四十年前までは其森の下で沙魚を釣つたのであるさうなが、今は四方広々とした青田の中にある。(河東碧梧桐『三千里』第2巻 春陽堂書店 1937、七月十七日の段)

八郎湖(→秋田県南秋田郡大潟村)

寒風山

秋田

⇒陸羯南(旅費送金依頼。この朝、一日市旅宿から発信)(全集第22巻)

小生去ル五日仙台を辞し関山越より羽前に入り最上川を下り陸路酒田本庄を経て昨日秋田より当地着目的ハ只象潟一見に御座候 炎天といひ羸脚といひ数日の行脚にほとほと行きなやミ候ニ付昨日ヨリ掟を破り馬車人車等に打乗申候 蓋シ天愈熱く懐漸く冷かなる時候に向ひ候ニ付車馬ハ全ク禁シしかも一日十里詰之歩行しなけれバ帰京難致都合に相成両三日ハやつて見候へとも何分十里ハ扨置七八里も無覚束終に右の禁も解き申候/就而ハ軍用金不足ニ付毎々恐入候へとも又々三四円拝借仕度何卒願上申候 尤旅費之尽きたる処より電信か郵便にて可申上候ニ付其節又々御手段相煩申度候 当地よりハ可成早く鉄道ニとりつく考なれども青森へ出ては不経済ニ付秋田より横手に帰りそれより黒沢尻ニ出る積りニ御座候 出立後一月ニ垂んとすれハ最早帰京も可然と存候 先ハ用事迄(…)苦痛多き時ハ名句も何も出不申候(全集第18巻、明治二十六年八月十四日陸実様)

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