箱根駅伝・山下りの旅 #2 箱根町港から箱根神社
登りはバスで
出発の一五分前にバス乗り場に到着した。
道を歩く外国人の多さから、多少の覚悟はしていたが、乗り場は混乱を極めていた。
三人の女性係員がいて、乗り場にやって来る客を、英語と日本語で案内していた。そのうちの一人は、中国出身の人のように思われた。
自分の目的地は、箱根町港だ。
その方面行きのバスが出る二番乗り場には、長い列ができている。仕方なく、その尾についた。
バスは、これだけの人数を収容できるのだろうか。
見回すと、列をつくる人の八割は外国人だった。
これが「オーバー・ツーリズム」というやつか。
バスが到着し、乗車が始まった。
しかし、このバスは「H」系統だ。自分が乗りたいのは「R」系統のバスである。
だから自分は、動き出した列を離れた。
事前の下調べによれば、目的地まで、「H」系統は所要七〇分、「R」系統は所要二〇分、とあったからだ。この差は大きい。「H」系統に乗れば、山下りの開始が遅れてしまう。
しばらくして、目的の「R」系統のバスが到着した。
すると、とぐろを巻く列の内側にベルトで仕切られた区画があって、その中に待機していた客が「R」のバスに乗り込んで行くではないか。
一番近くにいた係員に訊ねた。
「このRのバスには乗れないの?」
説明によれば、乗れない。「R」のバスはもう先着の客でいっぱいだから、「H」のバスを案内しているのだという。
次の「R」のバスは約一時間後だ。一方、「H」のバスは二〇分おきくらいに走っている。
目的地に先着するには、次の「H」のバスに乗るのがよいのか、一時間後の「R」のバスに乗るのがよいのか、微妙なところだ。
「H」のバスは、国道一号線を走る。これは、今日歩く駅伝のコースとほぼ同じなのだ。対する「R」のバスは、箱根新道というまったく別のルートをとり、芦ノ湖畔の箱根町港まで直行する。
行きに「H」のバスに乗って駅伝ルートを事前に見てしまうのは、何だか面白くない気がする。――
「R」のバスを待つことにした。出発が一時間遅れたとしても一一時。そこから三時間歩くとして、ゴールは一四時。途中で休憩や寄り道をしたとしても、一五時にはゴールできるだろう。予定の上ではまったく問題ないと判断した。
ところで、次の「R」のバスに乗りたい場合はどうすればよいのか。
訊ねると、係員は、「二番乗り場の列に並んでください」と、判で押したように言う。
自分は、湧きあがってくる怒りをぐっと抑えて、また同じ列の最後尾についた。
私に言わせれば、この乗り場の混沌の原因は、「H」に乗りたいと思って来る客と、「R」に乗りたいと思って来る客を、同じ一つの列に並ばせていることだ。客の質問の大半も、そこに集中していると思われる。
最終的な到着地は近いとはいえ、それぞれが走るルートと所要時間はまったく異なる。自分の乗るバスが「H」になるか「R」になるかは運任せ、バスが来てみるまでわからない、などという馬鹿なことがあるだろうか。
ところで、自分が乗ろうと思って待っているのは箱根登山バスだが、それとは別に、西武ライオンズのマークをつけた白いバスが時に行き来する。系統名「Z」の伊豆箱根バスで、行き先は「箱根関所跡」とある。箱根関所跡は箱根町港から歩ける距離ではなかったか。こちらの方は、かなり空いている。
ライオンズに鞍替えしようか、とも思ったが、下調べから漏れており情報不足だ。ここは初志貫徹で、「R」のバスを待つことにした。
やがて次の「H」のバスが到着した。前に並ぶ客が収容されて行き、自分は待ち列の先頭に来たが、次の「R」のバスに乗るため脇に寄り、後ろの客に権利を譲った。
まだ観光気分
「R」のバスは、「ラピッド」の意味か知らないが、確かに速かった。
箱根湯本駅前から、いったん小田原の方へ引き返す動きを見せた後、大きくUターンして箱根新道なる道に入り、高速道路を走るように飛ばした。
緑の山が、ずんずん後ろに流れて行った。
かなり登って芦ノ湖方面に折れる際、車窓から、雪をかぶった富士山の頭がパッと見えた。乗客から歓声があがった。
バスはきっちり二〇分で箱根町港に着いた。
停留所の隣に箱根駅伝ミュージアムがあり、その先の脇道を入った所に、「東京箱根間往復大学駅伝競走往路ゴール」と書いた碑が刺さっていた。
そこから振り返る交差点の風景は、テレビで見覚えがあった。
碑の奥が、遊覧船の発着する箱根町港になっており、蟻のような観光客を満載した海賊船が、滑るように近づいて来た。船の背後には、手前の山に隠れて恥ずかしそうに顔をのぞかせる富士の姿があった。
ここ、往路ゴールの碑を、出発点とする。
時刻は一一時一一分。
目標タイムがあるわけでもないが、自分の脚で何時間くらいでゴールできるかは計測しておきたい。
スタート地点の脇道を左に曲がると、ここにも見覚えのある景色が広がっていた。道路の路面が、特徴的な白いまだら模様になっているのだ。これも記憶の中にあった。
気分が高まった。
スタートして暫くは、左手に観光スポットが続く。
「箱根駅伝栄光の碑」という苦しそうなランナーを模した銅像があって、じっくりと見物した。台座に、歴代優勝校の名が刻まれていた。
その先の大きな土産物店にも入って、品物を眺めた。こんな調子だから、計測タイムはまったくアテにならない。
箱根関所の前に来たが、有料なので入らない。
道はここから早速、〝登り〟になった。
箱根の山下りと云っても、最初は登りなのだ。湖の傍は低地になっているのだろう。
左カーブを描きながら、緩やかに登って行く。
ほどなく、恩賜箱根公園の表示が見えてきた。
ここにも立ち寄ってみる。
あまり広い公園だと時間をロスしてしまうなあ、と思いながら、園内の林の中を進む。
せっかくなので、公園の頂上らしき広場まで上ってみる。
ちょうど昼時で、おそらく遠足で来ているのだろう小学生の集団が、弁当箱を開けていた。
そこに、箱根恩賜公園湖畔展望館という西洋風の建物があった。
二階のバルコニーから、芦ノ湖を一望できた。
ここはかつて、箱根離宮があった処だそうだ。さすがに皇室は、いい土地を見逃さないなあ、と思った。
展望館の裏手の道から、二百階段と名づけられた長い石段を下った。下りきった左手の湖の入江には、釣り糸を垂れる人がいた。
車道に復帰した。これが国道一号線で、この道をずっと進めばゴールに辿りつくのだ。
湖を左に見ながら進む。
車道脇には、右にも左にも、杉の巨木が立ち並んでいる。幹の太さは、神社の御神木クラスと思われた。それが歩道の真ん中を塞いでいる。
再び人の数が増えて賑やかになった。
この辺りを元箱根と云うらしい。
先ほど出発したのは「箱根町港」。ここは「元箱根港」。近くに二つも「箱根」を含む港があって紛らわしい。
さらには「元箱根」と「箱根湯本」。これらはまったく別の場所だが、「元」と「本」の音を共有していて、ややこしい――と感じるのは自分だけだろうか。
左手の湖の先に、安芸の宮島を思わせる赤い鳥居が見えてきた。
駅伝のコースからは外れるが、せっかくなので立ち寄ってみることにした。この次、いつ来るかわからないし、もう来ないかもしれないのだから。
交差点を左に折れて、光る湖面を見ながら歩いた。この感じは日光の中禅寺湖畔に似ているな、と思った。
軽く登りながら、右手の緑の蔭の中に入って行く。そこが箱根神社への入口になっていた。
外国人観光客が多い。
急な石段を昇り尽くすと、社殿があった。
赤い、と思った。
神社にありがちな朱色ではなく、べに色と云うのだろうか、少し黒味を帯びた赤で柱が塗られていた。
再び石段を下りて、今度は湖畔まで突っ切ってみる。
すると、そこに人の行列ができていた。
見ると、先ほど遠くに見えていた朱色の鳥居が目の前にあり、そこが写真撮影のスポットになっていた。
写真を撮る人はこのように列をつくれ、と指示する看板まで立っていた。
見たところ、列をつくっているのは中国人ばかりで、西洋人はいないように思われた。この場所が、隣の国ではどのように紹介されているのだろうか。ここで写真を撮らねば箱根に来たことにはならない、と云わんばかりの混雑ぶりだった。
(次回に続く)
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