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正岡子規『はて知らずの記』#08 七月二十五日 福島→飯坂温泉

(正岡子規の『はて知らずの記』を紹介しています)

しのぶもぢずり見学。そして温泉へ。


二十五日、荵摺の石、見んとて行く。
平らに打ちならしたる道の
苦はなきも、
三伏の太陽、日傘を透して焼くが如きに、
路傍、涼を取るべきの処もなし。
町より一里半許り、大道の窮まる処、
山麓の木立、甍を漏らすは、
これ、荵摺の観音なり。
正面、桜樹、高く植ゑたる下に、
蕉翁、荵摺の句を刻みたる碑あり。
其後に、柵もて囲みたる
高さ一間、広さ三坪程に
現れ出でたる大石こそ、
荵摺の名残、となん聞えけれ。
左の石階を登れば、
観音堂、壮大ならねども、
彫鏤、色彩を凝したる昔、
猶忍ぶべしや。

涼しさの 昔をかたれ 荵摺

帰路、殆ど炎熱に堪えず。
福島より人車を駆りて、
飯坂温泉に赴く。
天、稍々曇りて、
野風、衣を吹く。
涼、極つて冷。
肌膚、粟を生ず。
湯あみせん、とて立ち出れば、
雨、はらはらと降り出でたり。
浴場は二箇所あり、
雑沓、芋洗ふに異ならず。

夕立や 人声こもる 温泉の煙


さすがの道路国もまだ樹木を植うるの運びに至らねばや(初出)

荵摺の観音(→文知摺観音普門院)

蕉翁の紀行にも「山陰の小里に石半は土に埋てあり」云々と見えたれば元禄の昔より此の有様にこそありけめさるをさきつ年某の殿此口碑を信じて数多の人夫を遣り此石を掘り起さしむるにもと小山の如き大石なればいよいよ掘ればいよいよ大きく迚も人力の動かすべきにもあらねば今はもてあまし中頃にして其工事も止めしも石は大方露はれ出で柵もて今の如く結ひめぐらせしに昔の趣を損ひたりとて雅人は嘆きぬ。(初出)

飯坂温泉

旅宿庭前山吹今を盛りと咲き出でたり(初出)

「旅」⑫の文中鯖名温泉の廓の事を記したのは飯坂でのことか。(全集第22巻)

鯖名といふ温泉にて雨にふられ、旅のうさ今更覚えけるを、廓ありと聞きて、宿屋の庭下駄に知らぬ闇路踏んで、凌霄咲く門に這入りける。翌朝、宿へ帰ればここの小もの笑ふて、ゆうべ旦那の買はれしは、やつがれと同じ国の生れなりといふ。狭い処では一夜のうちに何も彼も知れぬは無し。(正岡子規「旅」『子規全集』第12巻(随筆2)講談社 1975)

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