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正岡子規『はて知らずの記』#22 八月八日 大石田→古口

(正岡子規の『はて知らずの記』を紹介しています)

最上川を舟で下る。途中で一泊。


八日、川船にて最上川を下る。
此舟、
米穀を積みて、酒田に出だし
又、酒田より、塩乾魚を積み、帰るなり。
下る時、風、順なれば
十八里、一日に達し、
上る時、風、悪しければ
五日六日をも費す、といふ。
乗合ひ十余人、
多くは商人にして、
結髪の人、亦、少からず。

舟、大石田を発すれば、
両岸、漸く走りて、
杉深き木立、
家たてるつつみなど、
篷窓、次第に面目を改むるを
見てか見ずにか、
乗合の話、声かしまし。

秋立つや 出羽商人の もやひ船

草枕 夢路かさねて 最上川
 ゆくへもしらず 秋立ちにけり

正午、烏川着。
四五人、ここより舟をあがれば、
残る所、亦、五六人に過ぎず。
団欒話、漸く熟して、
笑声、頻りに起る。
言、なまりて、更に解せず。
独り、艫辺に佇みて、
四方の風景を見る。
遡り来るの舟、幾艘、
人、綱を引きて岸上を行く、
恰も、蟻の歩みつれたるさま、
逆流に処するの困難、想ふべし。
我れは、流に順ふて下る。
川、幾曲、
舟、幾転、
水、緩なる時は
船、徐ろに動きて、油の上を滑るが如く、
瀬、急なる処は
波浪、高く撃ち、
盤渦、廻り流れて
両岸の光景、応接に暇あらず。
一舟、我と同じく下る。
後る事、僅かに数十間。
我舟、已に急灘を経て
後を顧みれば、
彼舟を距る事、殆ど数町に在り。

舟引きの 背丈短し 女郎花

蜻蛉や 追ひつきかぬる 下り船

本合海を過ぎて
八面山を廻る頃、
女三人にてあやつりたる一艘の小舟、
川を横ぎり来つて、
我舟に漕ぎつくと見れば、
一人の少女、
餅を盛りたる皿、いくつとなく持ち来りて、
客に薦む。
客、辞すれば、
彼、益々、勉めてやまず。
時に、ひなびたる歌などうたふは、
人をもてなすの意なるべし。
餅、売り尽す頃、
漸くに漕ぎ去る。

日、暮れなんとして、
古口に着く。
下流、難所あれば
夜、舟、危しとて、
ここに泊るなり。
乗合四人、
皆、旅店に投ず。
むさくろしき家なり。


酒田

大石田

烏川

本合海

八面山(→八向山か)

古口

当時古口の旅館は、具足屋、鶴屋、文兵衛、亀屋、その他二、三軒あったが、子規の宿ったのは、俳句から推察して、具足屋らしく、この屋は道路に面した二階建て、杉皮ぶきの横屋造りで、主人は小林甚三郎であった。ここからは対岸の月光山が見え眺めもよかった。その麓には月光鍛冶屋敷があったという。(戸沢村史編集委員会編『戸沢村史:その自然と人・人』戸沢村 1965)

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