半年間無職でもなんとかした話

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おはようございます。

いけださとしです。
何かのご縁でこのっ記事を閲覧してくださった方々、いつも読んでくださるフォロワーの方々、フォロー、スキしてくださる方々ありがとうございます♪

今回は社会人になってから半年間無職を体験した時のことをお話しします。

1.ささいなミスでクビ


今から5年前に派遣社員として働いていたのですが、上の人を怒らせることがあり、入って1か月で退職をせざるを得ない状態になりました。
理由の1つは借金を返す為、昼夜問わずダブルワークで働いていたため昼間ウトウトしながら業務を何度も繰り返ししてしまった。

もう1つは夜中の仕事は現場作業の体力仕事であり、家に帰っていたら寝坊する可能性が高かったため、遅刻しないよう現場から直接会社に向かうことをしていたので風呂に入らず清潔感が皆無だったため。

これは完全に自分が悪いです。

仕事を辞めてから今のコロナの時期とは違い、派遣でも仕事はまだ探しやすいほうだと思ったのですが、自分のスキル不足もありエントリーはしても全然面接にもならないという時期がまさか半年も続くと思いませんでした。

2.日雇い派遣の日々


貯金も全くなかったが、唯一その時はまだルームシェアをしていたのもあり、家だけはありました。
当時お互い給与も貯金もギリギリで生活していたのもあり相手に一時期立て替えていただいたことも。

自分が招いた結果で相手に負担させるわけにもいかないので、とにかくエントリーをしながら、空いた時間はすべて日雇いのバイトに行っていました。

昼はもしかしたら面談の可能性もあるということで、基本夜中の日雇いの仕事に入ることにして、時々昼の時間帯でも入る。

深夜帯の日雇いで体験したのは、事務所移転、航空便の仕分け作業、引っ越し作業、宅配の助手席待機、検品、大手コンビニ弁当作り、イベントブース解体、パンの仕分けなどとにかく入れる日は全部入りました。
それでも一回1万もいかない仕事ばかり。

金額と拘束時間で美味しかった仕事は事務所移転作業。
力仕事ではあるが、複数人でこなす上に終わり次第早くあがれる上に日給分は保証されるのでとてもありがたかった。
ただ自分の年齢より上なおじさん達に人気で取り合いになるため、中々入れず。

イベントブース撤去作業も力仕事で体はとても疲れたがこちらは1回の金額はよかった、ただ連チャンでは体力的に厳しい。

金額のわりに辛かったのがコンビニ弁当作業。
ライン工程で同じ作業を延々とくり返すからとにかく眠い。
延々とパセリを乗せる作業は苦痛でした。


航空便の仕分けはやること自体は力仕事なので楽ではあったが、そこで指示する方々が常に怒鳴り声あげるからうるさくてかなわん。

引っ越しについては今でいうとガチャ。
仕事内容がきついときもあるがお金もらう以上そこは耐えられるのですが、その時組む業者の人次第でその日1日がすべて変わりますね。

つい先日引っ越し業者の賃金について問題があった業界でもありますが、そもそも教育どうなっとんねんと思うくらい、バイトに対しての態度がひどいところが多い。

お客様とバイトへの態度の違いが露骨すぎて、こちらに向けている態度お客様に見せられるのかよと思うくらい。

こちらはバイトという身なので言われたことは必ず行うし、ミスがあったら怒鳴られるはまだいい。
人格否定までしてくる人もいますからね。
いやお前も同じ人間ですけど何様と言いたくなりますね。

そんなこともあっていろいろメンタルが鍛えられたものありますが当時はなんとか乗り越えられてよかったなと思います。

僕は自分自身の生活がというよりなにより友達に負担をかけさせるわけにはいかないからという思いでこなしました。

もし今後就職難でいろいろあっても、何のために自分が頑張れるかを決めておくだけで気持ちの持ちようが変わりますのでくじけずに頑張ってください。

ここまで読んでくださりありがとうございました。

ではまた。

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