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自然の中で暮らし「自分を好きになる」リトリートへの想い

みんなが自分のことを好きになって欲しいという想いを、リトリートという企画に落とし込みました。なぜ今回の企画をやろうと思ったのか、その経緯が少しでも伝わったら良いなと思います。


今回の企画をやりたいと思った想い

◼️自分の中のミッションと条件の一致

みんなが自分のことを「自分のままで良いんだな」って思えている状態にするというミッションがある。「自分のままで良いんだな」をもう一歩深めると「自分のことが好きである」状態だと認識した。みんなが自分のことを好きだと思えるように何かすることを自分のミッションとして掲げ、生きていこうと最近は思っている。

その何かの手段の一つが、「リトリート」だと思った。淡路島で企画した時も、自分の感情に気づくきっかけを与えて新しい自分を知る機会を作ったし、非日常な時間の中で素の自分になれるきっかけを作ったりした。自分を改めて知ることや素の自分になることには、自分の可能性を自覚することに繋がっている。自分の可能性を知ることは、まだ自分にも何かできるかもしれないという希望と安心感を与え、いつの間にか自分のことが好きになっていることもある。
だから、またやりたいと思っていたし、やっぱりリトリートだなと思った。

そして、earthmanという場所も魅力的だった。都会から離れた里山の中、草木が風になびく音や鳥の声に囲まれた場所で過ごす時間は、中々味わえないものがある。この場所でならやりたいと思ったから、earthmanでリトリートを企画しようと思った。

◼️今しかできない、今やりたい

今、27歳。ワーキングホリデーから帰ってきて、まだ定職に就いているわけでもない。時間的自由と社会的立場に少しのゆとりがある。これが週5フル勤務で出社必須な状況であると、余裕が生まれない。目の前の日々に忙殺されて、やりたいと思っていることができないかもしれない。もしくは、自分の気持ちもコミットすることができず消化不良のまま企画してしまうかもしれない。だったら、今やるしかない。今やりたいと思って、できるのであれば、今やってみたいと思った。やりたいと思ったのにやっていないのは、やりたいと思っていないのと一緒だと聞いたこともある。じゃあ、やる。

◼️一緒に何かしたいと思う仲間の存在

earthmanのふたり、球と真央と一緒に何かしたいとずっと思っていた。元同期、一緒に仕事していたし、結構お互いのことを知っている仲だろう。熱い意志の中に、弱さもあることや、前に進み続けている姿の裏に、ビビりまくっている気持ちがあることも、なんとな〜く感じてはいるものの言葉にしないような感情の機微をちゃんと掬い取って伝えてくれる。
気を使わずに、気を張らずに、自分で背負い込みすぎずに、あなたのありのままでいて良いんだよというスタンスでお互いに入れる関係性と、二人の空気感。でも、本気で良くしたいと試行錯誤するし、細かい擦り合わせも怠らないし、ベストまで考え抜く所は一緒にやる上で最高に気持ちが良いし、自分もボルテージあげられる感覚がある。

そんな二人と一緒にしたいと思って、今回earthmanで企画をする。企画段階から、話し合いからすでに楽しいし、本番も楽しみ。

なぜやるのか?

◼️なぜリトリートをやるのか?

上で書いた、【◼️自分の中のミッションと条件の一致】 に解釈を加えると、リトリートの空間が好きだからというのもある。自然を存分に味わう時間、焚き火をする時間、みんなで一緒にご飯を囲む時間、自分の中の感情を曝け出す時間。全ての時間が好きで、その時間をみんなと共有し一緒に過ごしていることがとても好き。

「自分のことが好きである」状態って、自分自身を受け入れている状態でもある。自分の中にある、強み・弱み・得意・不得意・好き・苦手、それらが自分の中にあるなあってのを受け入れた上で、その場にいること。みんなが自分のことが好きだなあと思って存在している場って、すごく心地良いんだよね。誰も強がっていない、気を張っていない、その空気感が好き。

それらを味わえる場が「リトリート」だと思う。つまり、結局は自分のためでもある。自分は、「自分に対しても相手に対しても、誠実で素直で在りたい」欲求が強い。そして、それは相手にも求めている節がある。だからこそ、自分もみんなもありのままの自分自身でいられている感覚に、居心地の良さを感じるし、すごく満たされている感覚を感じる。

純粋に自分がやりたいからやる。自分本意でもあるし、良く言うと「自己中心的利他」な行動であると言える。

◼️なぜ「嘘も、見栄もない、自然な暮らし」というテーマでやるのか?

過去、嘘をついてきて、見栄を張っていた自分にずっと苦しめられていた。でも、そんな自分もNZでのワーホリを通じて変えることができた。

今でも咄嗟に嘘をついちゃう時もあるし、見栄を張っている自分もいる。だが、前とは違ってとても生きやすい。嘘をついてしまう自分や見栄を張ってしまう自分を受け入れられて、自立して生きられている感覚がある。
その感覚は、NZの環境と周りの人の空気感や人との対話を通して、持てるようになった。

NZを実感してきた自分と、NZで体感してきた環境と同じ属性のearthmanという場所、earthmanの二人との関係性から作り出される空気感と、みんなでの対話の時間。それらを組み合わせることで、自分が体験した変化を、体現できるかもしれないと思って、このテーマに落とし込んだ。

「嘘も、見栄もない、自然な暮らし」を通して、「自分を好きになる」ような原体験を今回味わえれば良いなと思う。

何を期待しているか?

◼️嘘をつかなくて良い、見栄を張らないで良い、原体験を体感する

参加してくれた方が、一泊二日の中で、確実に自分の人生の生き方が変わるなんてことは言い切れない。しかし、今回の中で原体験を体で実感することができたらとても良いと思っている。

嘘をつかなくてよかった、とか、見栄を張らないおかげで自分らしく居れた、とか、普段の頑張っちゃっている自分とは違う、「ありのままの自分でいられてよかったな」と思える瞬間が訪れてほしい。

体で実感することで、感覚的に心地良かった瞬間は忘れないと思う。今回のリトリートが、いつかのどこかで開花するきっかけになったり、立ち戻る場所になったりしたら良いな。

◼️やりたいことの価値を実感する

やりたいこととしてやる「リトリート」。価値はあると思いつつ、やっぱり自分の目で確かめてみないと、どうなのかわからない。
自分では考えて、組み立て、問いかけて、場所を作ったとしても、それが参加してくれた人に刺さらなかったら意味がない。主体的には、良いだろうと思っていたとしても、目的を達成するに至るかどうかは見極めないといけない。

思いもよらぬ新しい価値が見つかるかもしれないし、やっている中でやっぱり好きだなと思う場面がもっと増えるかもしれない。価値云々ではなく、好きだから続けることができるようになるかもしれない。分からない。でも、分からないからこそ、やってみたいと思った時にやってみる。やってみたことで、どうなるかをみることがとても楽しみ。

◼️一緒に過ごす仲間との心地よい繋がり

【◼️なぜリトリートをやるのか?】でも、みんなで過ごすことが好きだと書いたが、その場で一緒に体感したみんなとの繋がりが好き。このリトリートで集まって、その後どうなったのか、何か変化はあったか、とかみんなで同じ実体験をしたからこその繋がりが続いていったらいいなと思っている。

本音で話せる人がいないとか、周りに頑張っている自分で接しちゃうとか、今回の集まった人たちなら何でも話せる、みたいになれたら良いな。

最後に

ワーホリから帰ってきてこの企画をできることがとても幸せなことだと思う。一緒にやろうと言ってくれる仲間がいて、参加したい!と声をかけてくれる人がいて、本当にとても嬉しいです。

自分自身のチャレンジでもありつつ、真剣に準備をして、当日のリトリートを迎えられるように全力を尽くしたい。そして、その場のみんなで心地の良い、嘘も見栄もない暮らしができることを楽しみに待っています。


<詳細>

テーマ:嘘も、見栄もない、自然な暮らし
日時:7月6日(土)・7日(日)
会場:earthman(和歌山県橋本市)
申込:今回は既に満席です。今後の企画をお楽しみにしてください!

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