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映画「正欲」は最後の一発がエッジが効いていてみんなにも見てほしい

よくあるLGBTQの話に絡めた話かと思っていた映画「正欲」。実際に映画館で見ていても、途中までマイノリティーは辛く生きづらいという描写が続き、差別化がどこに出るのかが全く分からない映画でした。

ただエンディングも最後の最後のワンシーンで、ガツンと殴られるようなエッジが効いたパンチが飛んできて、すっかり良映画だったという評価に変わってしまいました。

普通とは何か。

人間の多様性では無く、「多面性」について考えるキッカケとなる映画であり、大事なことはなんなのかを自問自答出来る映画でした。
※以後ネタバレ含みます。

地球に留学している気分

みなさんにも人には言えない、言いにくい内側の自分を持っているんじゃないでしょうか。性的指向でもフェチでも、急に衝動的になってしまう場面など、少し振り返ってみるといくつも見つかる気がします。

たとえ、他人が全く気にならないことでも、自分は気になることも多いでしょう。私たちは理性という仮面を被り、場面に合わせた自分のキャラを映し出し生活しているものだと思います。

映画に出てくる桐生夏月(新垣結衣)や佐々木佳道(磯村勇斗)は水フェチという性的指向を持ち、普段の生活でものすごく苦しんでます。みんなが楽しいと思うことは全く楽しくなく、あっちの世界とこっちの世界という形で分断をしないと自分を受け入れることもままならない。

そんな二人は「地球に留学している気分」だと現状を言います。全く違う文化圏で、自分を受け入れてもらうことも、言葉も通じず、苦しい状態なんですね。

もう2人映画にはマイノリティーが描かれてます。同じく水フェチの諸橋大也(佐藤寛太)は「寝る前に毎日思う。朝起きたら、自分以外の人間になれてますように」と思い、神戸八重子(東野絢香)は「性欲とか恋愛とか結婚とか、全部関わらずに生きていけるならそうしたい」と願っています。

自分の生き方は誰とも共有出来ず、自分でも処理出来ず苦しんでいるんですね。

僕らは多面的である

そんな4人も人との繋がりで前進していきます。

桐生夏月と佐々木佳道はある出来事をキッカケにお互いが同じ性的指向を持っていることを知り「この世界で生きていくために、手を組みませんか」というプロポーズにより、共同生活を送るようになります。

留学先で理解のある人と出会えたいう位置ずけだったはずの2人も、デートってこんな感じなんだという感情になってみたり、お互いのことを大事にする気持ちが増していきます。

神戸八重子は重度の男性恐怖症にも関わらず、諸橋大也のことだけは平気で好きになっていくんです。そして好きになってしまう自分を上手く受け入れていけない。そんなシーンが描かれていく。

映画を見ているとマイノリティーの部分にフォーカスが辺り、多様性ばかり語られる気がするが、私は映画に出てくるみんなのように人間には「多面性」があって、その面ごとに合う人だったり、理解してくれる人がいれば前に進めることが出来るのではないかという気がしてならないです。

神戸八重子が男性恐怖症なのに諸橋大也のことだけを好きになってしまうという矛盾はまさにそうでしょう。私たちは矛盾することだって多々あるんです。多面的な部分もあるんだと理解しておくべきなんですね。

COTEN RADIOと言うラジオ番組で深井龍之介さんがシンドラーの会でこんなことを言っていました。

時間的連続性の中のその性質を受け継ぐ連続性があるというよりは、その瞬間瞬間にリアクションとして出てる決定とかってたくさんあると思うんだよね。

〜中略〜

それは過去の連続性から説明できない決断みたいのがあるってことだと思うんですよ。それ全て過去の連続性から説明しようとするからバグるっていうことは現象として起こってんじゃないかなと思ってて。

COTEN RADIO【44-12】より

前後の文脈が無いので、わかりにくいかもなので、深井さんの主張に対して樋口さんの理解を載せておきます。

例えば、じゃあ「コーヒーとお茶どっちが好きですか?」って聞くと、じゃあお茶って言ったとするじゃないですか。明日聞いてもお茶って言うと思うんですよ。明後日聞いてもお茶っていうと思うんですよ。

だから深井さんはお茶が好きな人だって僕思うと思うんですよね。

だから連続してるって思ってるんですけど、その瞬間判断してるやつが微算的に自我っていうのがあって、それが連続してずっとドットを書いたら線っぽく見えるから線になってますけど、ただそれは同じような内臓とか舌の分子を持ってたら今日の答えと明日の答えて確率的にかなり高確率で同じ答え出す。

COTEN RADIO【44-12】より

私たちはその場で回答を考えて、言動や行動に繋げていると思うと、過去の発言からも少しズレたりすることも多いってことですよね。

趣味趣向も色んな方向のアンテナを持っていつつ、都度都度判断で言動や行動が変わるという部分を理解しておくことってすごく重要だなと感じさせるシーンでした。

エッジの効いたエンディング

映画の話を書くのにエンディングについて書いていいのかという悩みがありますが、正欲はエンディング無しには私は語れません。

ここまで語ってこなかったもう一人の登場人物である寺井啓喜(稲垣吾郎)と桐生夏月のやり取りがエンディングで描かれます。

寺井啓喜は検事であり、真面目で、世間で普通とされることが大事!な人です。子供が不登校になり、Youtuberになりたいと言われても、決して首は縦に振らず、教育方針を巡って妻と度々衝突しています。最終的には離婚調停中となり、家族は離ればなれになる寸前まで来ています。

そんな寺井啓喜は検事として、小児性愛者であり水フェチである矢田部陽平の事件を担当することになります。運が悪いことに水フェチであることを内々で公表し、水遊びしていた写真や動画が押収され、写っていた佐々木佳道も逮捕されます。

佐々木は水が好きなだけであると訴えますが、寺井は「そんな嘘で騙されると思ってんのか!」と激昂。一切受け付けません。そう「普通はあり得ないから」と戸惑いながらも勝ち誇った感じです。

更に妻である桐生夏月を呼び、同じように聴取しますが、回答は同じようなもの。決して寺井には理解出来ない状況で、エンディングを迎えます。

「夫に伝えて欲しいことがあります」と夏月は寺井に頼みます。寺井は受け付けられないといいつつ、参考までに聞いておきますと返す。
すると夏月は「いなくならないよ」と伝えて欲しいと言い、席を立って、エンディングとなるのです。

私はこのシーンを普通への強烈なアンチテーゼだと受け取りました。

寺井は私たちが生きている世界で「普通」だったり「当たり前」と言われるような生活や言動をしているように見えます。みんなと同じように生きている人、自分が認知出来る事柄以外は絶対にNGというスタイル。でも認知していることは「普通」であると思っている、そんな人です。

でも普通に生きていた寺井は家族を失う寸前にあります。

一方夏月はこの世界で生きていくために、手を組んだ佐々木がいつしか大事な人となり、不正逮捕されるような状況であっても「いなくならない」という選択と決意を話すのです。

私たちは普通の方がいい、みんなと一緒が安全と思いがちですが、選択によっては強い結びつきは得られない。世間とか周りとかに流されずに、今自分の目の前の人との関係を意識する。それが大事だろうと言われている気がしました。

最高のパンチを最後に繰り出してくる正欲という映画は、人間の多面性を改めて認知しようと考えさせ、その上で目の前の人と向き合うことの重要性を訴えてきたそんな映画でした。

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