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読書:『ホモ・デウス』(下)Y.N.ハラリ

①紹介

イスラエルの歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリ氏による『ホモ・デウス-テクノロジーとサピエンスの未来』(下巻、柴田裕之訳、河出書房新社、2018年)を紹介します。前回読んだ上巻の続きですね。崇拝の対象が人間からデータに変わるとき、私たちは、人間性は、そして心は一体どこへ行くのでしょうか。

②考察

「意味のない世界のために意味を生み出せ——これこそ人間至上主義が私たちに与えた最も重要な戒律なのだ」
➢ 現代において「意味」を生み出すという作業は、もはや神ではなく人間が果たすようになってしまったようだ。近代神学の父シュライエルマッハーは、「宗教とは絶対依存の感情である」と言い、神の居所を天ではなく人間の心の中に認めたが、その説の延長が人間至上主義であると考えることも可能ではなかろうか。

「私たちが『私』と言うときには、自分がたどる一連の経験の奔流ではなく、頭の中にある物語を指している」
➢ これに従えば、「私」とは、一つの物語に過ぎないということになる。自己の価値はその程度のものなのだろうか。否、そもそも自己にはどのくらいの価値がついているのか。その価値を決めるのは一体何(誰)なのか。このように疑問に疑問を重ね続けて行き詰まる性質は、「虚構」によって繁栄してきたサピエンスの代償なのかもしれない。

「最も興味深い新興宗教はデータ至上主義で、この宗教は神も人間も崇めることはなく、データを崇拝する」
➢ それは一言で表すと、データの正しさが絶対視され、権威化に至るということか。時に間違えるようにできている人間はちっぽけで信用ならない存在だろうか。神から人間、そしてデータという具合に、崇拝の対象を次々と変える私たち人間だが、データで説明できないものを生み出すことができれば(差別化)、まだ何とか生きていけるかもしれない。

③総合

ハラリ氏が終章に残した3つの問いは私たちに多くのことを教えてくれるに違いない。もし「私はアルゴリズムではなく人間だ」と自分に言い聞かせるような場面に出会うことがあれば、きっと人間の真価に近づけるだろう。人間の歩みはそう簡単には止まらないはずだ。

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