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書評:『職業としての学問』M.ウェーバー

①紹介

ドイツの社会学者マックス・ウェーバーによる『職業としての学問』(尾高邦雄訳、岩波文庫、1980年)を紹介します。学問で生計を立てるにはどうすれば良いのか。研究者というシビアかつハイリスクな冒険に挑むすべての人に、知の巨人が残酷な真実をぶつけます。

②考察

・「大学に職を奉ずるものの生活はすべて僥倖の支配下にある」
→たとえ志願者全員が相当の実力を持っていても、全員が研究職に就けるわけではなく、狭き門に入れるのは、選ばれたごく少数の者だけ。要するにセンスであり、ウェーバーの言葉を借りれば「霊感」だ。「仕事」なる概念を天から与えられたものと見なす宗教的な解釈は、社会の本質を知るうえで無視できない。

・「学問の領域で『個性』をもつのは、その個性ではなくて、その仕事に仕える人のみである」
→ウェーバーの見解に従えば、仕事に仕える人とは、運よく「霊感」を持ち得た人のことであり、「個性」はその後に付随するものだという。論文作成や研究テーマの考案には個性が求められがちだが、それは「霊感」の持ち主にしかできない芸当だろう。

・「われわれは、いたずらに待ちこがれているだけではなにごともなされないという教訓を引きだそう、そしてこうした態度を改めて、自分の仕事に就き、そして『日々の要求』に——人間関係のうえでもまた職業のうえでも——従おう」
→いくら頑張っても研究職に就けないのなら、潔く諦めてさっさと別の職に当たるべきだ、とウェーバーは言いたいのだろう。就活・就職の方がずっとマシに思えてくる。どんな職であろうと、神が与えない限り、その道は自分に絶対に合わないものなのだから。

③総合

ウェーバーが『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』の著者だけあって、本書にはカルヴァンの予定説を思わせる箇所が少なからずあった。彼は研究職の何たるかを説くためにドイツとアメリカの事情を挙げているが、前者はほぼ無給から始まり、昨今の日本における大学院の教育体制に限りなく近い。ポスドク難民(売れ残り)になることを恐れるくらいなら最初から院に行かず、就職するのが無難だろう。人生それがすべてではない。

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