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書評:『日本人とユダヤ人』イザヤ・ベンダサン

①紹介

作家・山本七平がイザヤ・ベンダサンという筆名で著した『日本人とユダヤ人』(角川文庫、1971年)を紹介します。私たちが何気なしに感じる「空気」や「普通」の概念。それは仏教でも儒教でもなく、日本人のほとんどが意識せぬままに信じている不思議な宗教に起因するものでした。

②考察

・「ユダヤ人にとっては、明日がどうなるかは絶対だれにもわからないので、明日の生き方は、全く新しく発明しなければならないのである」
→これは主なる神への信仰が生んだユダヤ教思想だろう。人間だけでなく「時間」も創造された主への畏敬の念が垣間見える。反対に日本人は明日がやって来ることを当然と考えるので、予期せぬ終末的な事態に直面すると対応に苦慮しがちだ。

・「日本人は全員一致して同一行動がとれるように、千数百年にわたって訓練されている。従って、独裁者は必要でない」
→そのおかげで日本人が柔軟性を失い、些細なことで他者を憎むことに慣れてしまったと考えるのは私だけだろうか。いつも他者と同じことをしていれば良いとは限らない。昨今の閉塞しきった日本社会を覆う「同調圧力」そのものが独裁者ではなかろうか。

・「日本人とは、日本教という宗教の信徒で、(略)この宗教は、『人間とはかくあるべき者だ』とはっきり規定している」
→主義や信念、生き方というものは当人にとって一つの「宗教」かもしれない。「かくあるべき」と言うのは、日本人の多くが好む「普通」の解釈に無駄な時間を割くことと同義だろう。自分らしさや個性を捨てて他に迎合し続ければ、時代や社会の変化を拒む石頭に成り下がるだけだ。

③総合

本書の内容は日本人とユダヤ人の違いを文化的背景をもとに探る比較文化論だが、決して一方を称え、もう一方を貶すことが目的ではない。双方どっちもどっちで、ただ単に日本という国の民族や文化が相対的であることを告げているに過ぎないのだ。私はクリスチャンとして、昨今の日本のキリスト教会が神よりも「空気」を信じ、信徒たちが信仰の押し付け合いに走る様を見て、教会がすっかり日本化してしまった感を覚え懸念しているが、それが仮に「日本教」の影響を受けていれば、一つの事実として素直に受け入れざるを得ないだろう。

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