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書評:『改訂新版 共同幻想論』吉本隆明

①紹介

日本思想界のスーパースター(?)吉本隆明による『改訂新版 共同幻想論』(角川文庫、1982年)を紹介します。これを書くにあたり、彼は『古事記』と『遠野物語』に依ったとのことですが、はたして本書は哲学書?宗教書?難しい内容なので理解するのにちょっと骨が折れました。禁忌としての「幻想」から世界認識の方法を探る異色の国家論です。

②考察

・「人間はしばしばじぶんの存在を圧殺するために、圧殺されることをしりながら、どうすることもできない必然にうながされてさまざまな負担をつくりだすことができる存在である」
→「必然」を、運命と言い換えることは可能か。吉本は「負担」の一つに共同幻想(国家や宗教、法)を挙げている。彼に従えば、それは人間が作り、人間をまとめ上げてきたものだと理解できるが、「負担」と言っているように、何らかの欠点を持っているという意味も含んでいるようで興味深い。共同幻想は、ある種の諸刃の剣なのかもしれない。

・「一対の男・女のあいだに性交が禁止されるためには、個々の男・女に禁止の意識が存在しなければならない」
→吉本によれば、この禁止を自覚するには〈対なる幻想〉が男女の意識内に入っていなければならない。そんなものがセックスの抑止につながるなど、絵空事のようでにわかに信じ難いが‥‥‥だとすれば「幻想」は暗黙の了解や習慣に近い。

・「人間は〈対〉幻想に固有な時間性を自覚するようになって、はじめて〈世代〉という概念を手に入れた」
→吉本の説に従えば、家族や友情、男女の仲もまた(対の)幻想ということなる。「そんなバカな」「極論だ」と思ってしまうが、よく考えると、家族や世代というものは目に見えないうえ、歴史上の誰かが作るよう法律で定めたわけでもない。ただ、気付いたらそこにあった。単純ゆえに深い。

③総合

本書を読んで以降、この世にある一定数の概念を幻想としか思えなくなってしまった。価値観、言葉、時間、多様性、ルールなど。人間が幻想によって生きている存在だとすれば、毎日のように向き合っている現実、そして「自分」とは一体何なのだろうか。ただ、これもあれも幻想と見なしてしまうとキリがない。今も昔も変わらず人間が、目に見えず漠然としたものを神聖視する癖を持っているのは、やはり神話に負うところが大きいからだろう。

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