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読書:『新版 エルサレムのアイヒマン』H.アーレント

①紹介

ドイツの政治哲学者ハンナ・アーレントによる『新版 エルサレムのアイヒマン-悪の陳腐さについての報告』(大久保和郎訳、みすず書房、2017年)を紹介します。ナチスの幹部であり、ユダヤ人絶滅の責任者アドルフ・アイヒマンが裁判で語ったこととは。「悪」とは何かという問いに真正面から向き合った衝撃の一冊です。

②考察

「概ね直接に死の道具を操った人間から離れれば離れるほど、責任の程度は増大するのである」
➢ 「死の道具」とは、強制収容所内で使われた毒ガスのことか。だが、アイヒマンは自らの手で直接ユダヤ人を殺すことは一切なかった。その場には居ず、死者数すら知らなかったかもしれない。責任が重くなっていくことに本人が無自覚なら「傍観」よりタチが悪い。

「まったく思考していないこと――これは愚かさとは決して同じではない――、それが彼があの時代の最大の犯罪者の一人になる素因だったのだ」
➢ 彼の思考停止はやはりヒトラーの洗脳によるものか。死刑が執行される時までそれは解けなかったのだろう。ドイツ国民のほとんどがアイヒマンを極悪人と見なす中、アーレントだけが彼を凡人呼ばわりしたのは、昨今のSNS上に蔓延る「専門家」の呟きを無批判に受け入れて動きがちな私たち現代人が彼と大差ないことを示唆しているようだ。

「〈上からの命令〉という事実は人間の良心の正常な働きをいちじるしく阻害するということを認めるほかはないというのが、真相なのである」
➢ 悪名高い「ミルグラム実験」を連想させる。また、1995年に起きた地下鉄サリン事件や福島悪魔払い殺人事件のように、カリスマ的指導者の暴走によって引き起こされた諸事件が思い浮かぶ。ある問題を避けるために「上」に逆らわず何もしないというのは大変危険ではなかろうか。

③総合

アーレントが言うように、アイヒマンは根っからの悪人ではなく、死ぬまでごく普通の人間だった。普通であればあるほど陥りやすい罠がある。他者の意見に盲従し、足並みを揃えていては、私たちもアイヒマンになりかねない。コロナ流行時に跋扈した「マスク警察」はまさにその類だったのだろう。

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