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読書:『二十四の瞳』壷井栄

①紹介

小説家・壷井栄による『二十四の瞳』(角川文庫、2007年)を紹介します。昭和のはじめ、「瀬戸内海べりの一寒村」の学校に赴任してきた新米の女性教師・大石久子と十二人の子どもたちとが織りなす温かい日常、そして彼らが見た戦争。一つまた一つと失われていく瞳に焼きついたその悲惨さを私たちも共有してみませんか。

②考察

「大石先生、あかじゃと評判になっとりますよ。気をつけんと」
➢ 「あか」は共産主義のことか。1925年に制定された治安維持法が想起される。軍人嫌いを生徒に密かに告白していた大石先生は検挙こそされなかったものの、その噂が校内で飛び交っていたようだ。しかしこの場面からは、これから起こる戦争の足音を彼女が聴き自分で正しく判断していたことが窺える。

「死んで花実が咲くものか……」
➢ 大きくなった十二人のうち、ある者は戦争で死に、またある者は身体が不自由になったり、行方不明になってしまった。戦争の恐ろしさは、何気ない、それでも守るべき日常を一瞬で破壊するところにある。若い彼らにとっては想像できない絶望だろう。

「おまえがめくらになんぞなって、もどってくるから、みんなが哀れがって、見えないおまえの目に気がねしとるんだぞ、ソンキ。そんなことにおまえ、まけたらいかんぞ、ソンキ。めくらめくらといわれても、平気の平ざでおられるようになれえよ、ソンキ」
➢ 生徒の一人であるソンキこと、岡田磯吉は戦争に巻き込まれ、死は免れたものの失明した。生存者の彼はこれから多くの苦難にぶつかりながら生きていくことになるに違いない。それでも励ましてくれる友がいるのは幸いだ。

③総合

昨今の日本では戦争体験者の高齢化に伴い、平和の意義を語り継ぐことの難しさが課題となっている。そこで平和教育が重要になるのは当然の話だが、79年間も「平和」の状態が続いている日本でそれについて考えることは継承と同じく無理難題に違いない。結局は自分で徹底的に調べるしかないのだが、本書はその資料の一つに十分なり得る。読みやすく温かい文章だからこそ、その裏に隠された反戦の思いが肌に直に伝わるのだろう。

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