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読書:『ホモ・デウス』(上)Y.N.ハラリ

①紹介

イスラエルの歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリ氏による『ホモ・デウス-テクノロジーとサピエンスの未来』(上巻、柴田裕之訳、河出書房新社、2018年)を紹介します。過去に焦点を置く前作の『サピエンス全史』に対し、いずれ人類が見るであろう未来を語る本書。しかし、その内容は再考の余地を多く含んでいるかもしれません。

②考察

「人類は、(略)飢餓と疾病と暴力による死を減らすことができたので、今度は老化と死そのものさえ克服することに狙いを定めるだろう」
➢ 飢餓と疾病と暴力はいずれも有史以来、人類にとって大きな課題であった。今世紀に入ると、それらによる死者数は一昔前に比べて確かに激減したが、本書の出版から2年後のコロナ禍、さらにその2年後のウクライナ侵攻に世界は戦慄。バベルの塔の崩壊を思わせる。

「私たちが感覚や情動と呼ぶものは、じつはアルゴリズムにほかならない」
➢ この説に従えば、感覚や情動は理性が生み出す思考の一つに過ぎないということになる。私たちがいつどこで何をし、どのような反応を示すのかはコンピュータのように最初から設定されているというのか。フランスの哲学者ラ・メトリの説いた人間機械論に近い考えだ。

「私たちは二一世紀にはこれまでのどんな時代にも見られなかったほど強力な虚構と全体主義的な宗教を生み出すだろう」
➢ この虚構と宗教こそ、ハラリ氏の言う「人間至上主義」であり、タイトルにある「ホモ・デウス」であろう。人類は圧倒的な科学力によって自らを強化し、神のようになるということが氏の予測だが、やはり疑問が残る。これはあくまで開けた文明社会に生きる現代人の場合であり、言及がない未開社会の先住民との間には、「人間」や「神」の定義に大なり小なりの差があると思われ、一括りに考えることができないからだ。

③総合

人類は飢餓や疫病、戦争を少しずつ克服してきたが、この世に存在する限り、それらによる被害が小規模にはなっても、完全になくなることはないだろう。仮に神になっても、今度は「悪魔」との戦いを常に強いられるに違いない。それは自分自身かもしれない。疑問を残したまま下巻へ。

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