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読書『未完のファシズム』片山杜秀

①紹介

思想史研究者の片山杜秀氏による『未完のファシズム-「持たざる国」日本の運命』(新潮選書、2012年)を紹介します。第一世界大戦後の日本が次第に神がかっていったのはなぜか。それを支えた軍人たちの戦争哲学とは一体何か。「持たざる国」の興りと終わりを照射する第16回司馬遼太郎賞受賞作です。

②考察

「歴史の趨勢が物量戦であることは明々白々。しかし日本の生産力が仮想敵国の諸列強になかなか追いつきそうにない。このギャップから生じる軋みこそ、第一次世界大戦終結直後から日本陸軍を繰り返し悩ませてきたアポリアであり、現実主義をいつのまにか精神主義に反転させてしまった契機ともなったのです」
➢ 当時から日本は列強と比べて兵士の数や兵器、資金が少ないという意味で「持たざる国」だった。そんな日本は1914年にタンネンベルクでロシア軍を破ったドイツ軍の戦術に惹かれ精神論に傾倒。偶像崇拝に関して我が国は超一流である(皮肉)。

「戦時期の日本はファシズム化に失敗したというべきでしょう。日本ファシズムとは、結局のところ、実は未完のファシズムの謂であるとも考えられるのではないでしょうか」
➢ 片山氏によれば、日本のファシズム化を阻んだのは明治憲法である。これを遵守する限り、戦前・戦中の日本で独裁が実現することはなかった。日本を「持たざる国」から「持てる国」にする計画は明治憲法の前に悉く崩壊。これは昨今の9条改憲の是非を問う議論とリンクしているような気がしてならない。

「この国のいったんの滅亡がわれわれに与える歴史の教訓とは何でしょうか。背伸びは慎重に。(略)そういうことかと思います」
➢ これは一国のあり方に限った話ではない。現代の組織経営においても同じことが言えよう。もちろん背伸びすることが悪いわけではないが、やはり状況に応じて柔軟に行う必要がある。そうでなければ組織は上から腐っていき、下も潰れていくからだ。

③総合

「新しい戦前」なる言葉が叫ばれて間もない今日、戦争史に触れることはまたとない機会だ。当時の戦争哲学は現代を見つめる鍵となり、歴史に学ぶ意味を確と見出せよう。

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