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読書:『沈黙』遠藤周作

①紹介

小説家・遠藤周作による『沈黙』(新潮文庫、2003年)を紹介します。キリシタン迫害が厳しさを増す日本に潜入した司祭ロドリゴが棄教に至るまでの物語。自分や信徒が塗炭の苦しみを味わってもなお神は沈黙を貫く。ならば神はいるのか。信仰の有無を問わず、壮大なテーマを突きつけずにはいません。

②考察

「主よ、あなたは何故、黙っておられるのです。あなたは何故いつも黙っておられるのですか」
➢ 日本人キチジローの裏切りによって役人に引き渡されたロドリゴ。信徒以外の誰も自分の話に耳を傾けず理解しようとしない。十字架上のキリストが主に向かって「なぜお見捨てになったのか」と言われた聖書の一場面が思い浮かぶ。残るのは虚しさだけ。

「この国は沼地だ」
➢ 棄教したフェレイラ師の発言と変貌ぶりに驚きを隠せないロドリゴ。師は名実ともに日本人となり、かつて自身が信じていたキリスト教を今では痛烈に批判している。信徒を救い、日本で生きるために選んだ道は自分と神の否定だったのかもしれない。

「踏むがいい。私はお前たちに踏まれるため、この世に生れ、お前たちの痛さを分つため十字架を背負ったのだ」
➢ 棄教直前のロドリゴにこう語ったのは、彼が踏もうとしている銅版に描かれた「あの人」で、もちろんイエス・キリストを指す。ロドリゴはかつて自分が蔑んでいたキチジローと同じく絵を踏んで無になった。信徒を救うために自らを犠牲にした彼の手に唯一残ったであろう信仰は、どうしようもないほどに「聖」とはかけ離れた代物である。

③総合

なぜ日本にはキリスト教が根付かないのか。それは日本人のほとんどが、作家イザヤ・ベンダサンの言う「日本教」の信者であり、他の宗教を知らずとも生きていけるからだろう。「人間とはかくあるべき者だ」(『日本人とユダヤ人』)と説くそれは人間の理想の形を神格化しており、一つの宗教と呼べるかもしれない。現代の日本にはキリスト教がある程度浸透しているが、それは原型を保ったままではなく半ば日本風に解釈・輸入されたものだと言わざるを得ない。やはり日本のクリスチャンならば死ぬまでに読むべき一冊だろう。

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