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社会人にもなって苦手を克服しようなんて 意味がない (それじゃ思考が学生のままですよ)

誤解を生む題名ですので最初に断っておきます。「自己啓発は、無意味だからやめましょう」という事ではありません。

サラリーマンになって常々感じていた事。それは会社を学校の延長線上で考えている人が多いということです。

その典型は、苦手は努力して克服しましょうという考え方です。
これは、本人にも企業にも、どっちも得しない考え方です。
学校という学習期間であれば、苦手を克服してみるという経験はむしろ必要でしょう。 しかし企業は学習機関ではありません。苦手な事をわざわざやらせるなんて企業の損失でしかありません。 

得意な事をさせれば、本人も、企業もwin-winです。
それには本人が希望する部署にいかせる事です。しかし、わがままを聞いていたらきりがないと思っているのか、或いは苦労してこそなんぼと思っているのか、一向に希望を聞かない人事がいたりします。

勿論この考えは現実的ではない部分もあります。
社員数が少なくて、適材適所などと言ってられず、苦手な仕事もやってもらわなければならないケース。本人が望んで苦手を克服したいと言っているケース。

また誤解してほしくないのは、これを適用する範囲です。例えば、ちょっとした雑務なら苦手な部分も含め広範囲でやってもらわないと、いちいち細分化しては効率が悪いです。 一言に仕事と言っても色んな階層があるので、どの部分も適材適所でやれとは言ってません。

とにかく我々は、仕事は苦労してやるものだという刷り込みがあります。
その時に考えてください。その苦労は良い苦労でしょうか、悪い苦労でしょうか。
得意な(好きな)仕事で遭遇した苦労は、おそらく良い苦労でしょう。
「苦労=苦手を我慢してやる事」 ではありません。

苦手を克服する時間があったら、得意な事、好きな事を伸ばす時間に使ったほうがどれだけ有効でしょうか。

最後に、繰り返しになりますが、
本人が進んで苦手を克服したいのなら、それはいい事です。
しかし、克服したくもない苦手に対し、いまさら努力するのはやめましょう。

<追記>
どんなに得意で好きな事でも、その中には苦手でやりたくない部分もあります。
つまり、得意分野の仕事さえ選べば苦悩はなくなるというわけではありません。
そのやりたくない所は克服する必要があるのです。
ここで言いたかった事は、幹となる部分の話であり、それに付随する枝葉の所にある不得手は依然として苦手を克服するしかありません。 そこを勘違いせぬ様お願いします。

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