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コミュニケーション能力という曖昧なもの

コミュ力とは何でしょうか?。 例えば、
報連相をこまめにし、コミュニケーションは満点だけど、仕事は遅いし質も悪い人。かたや報連相はほとんど無し、しかし迅速に質の良いアウトプットをする人。 この場合、前者はコミュ力が高い人と言えるのでしょうか?

コミュ力は重要だと思います。ただ、それとセットでもう少し本質的な事も考える必要があります。
上記の例で分かるように、コミュ力以前の問題を認識しなければいけません。

普段の生活でも同じことが言えます。
いくら無口でも、無愛想でも、毎日職場や学校で顔を合わせれば、どういう人か分かりますよね。何を言ったかではなく、何をしたかを見てれば、その人の本質は分かりますから。

つまり、コミュニケーションの本質は言葉ではないのです

「コミュニケーション=言葉」と認識してる人が殆どですが、それは飽くまで表面的なものです。心から感謝してないのに、コミュニケーションの手段として「ありがとう」と言ったところで意味がありません。
本当に感謝してるかどうかなんて行動を見れば分かるのですから。
(勿論、一時的に関係性は良くなりますが、いずれは「言葉だけ」と言う事がばれます)

コミュニケーション以前に大事な事は、中身(人間性)です。
人間性を、コミュ力でカバーすることはできません。
つまり、人間性の無い人がいくらコミュ力を磨いてもダメなのです。
仕事の場合は、業務能力が無い人がコミュ力だけを磨いても業務能力は向上しません。

「砂上の楼閣」という言葉があります。
いくら立派な建物でも、砂の上に建てたら崩れるという意味です。

つまり、立派なコミュ力を身につけても、人間性という土台がダメならコミュ力なんて意味をなさないのです。

まとめます。
コミュ力をつける事で得られる物はあると思います。しかしそれで本質を解決する事はできません。 ですので人間関係を良くしたいとか、仕事をスムーズに進めたい理由でコミュ力を磨いても、意味が無いです。
問題の本質はそこではないからです。

学習で得たコミュ力は、その場を取り繕う道具にしかなりません。
コミュ力とは人間性から滲み出てくるものですから、本当のコミュ力を上げるには人間性を磨くしかないのです。

仕事であれば「技術力」、私生活であれば「人間性」、そこが本質です。
コミュ力でそれを補完する事はできません。
無口でも仕事ができる人。 無愛想で感じが悪いのに嫌われない人。
その人たちを見て、コミュニケーションとは何なのかを考えると良いと思います。

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「人は話し方が9割」という本がありますが、これは初対面の人や、たまにしか顔を会わせない人に対してだけ通用する内容だと思います。
前述の通り、「話し方」がどうであろうと、毎日のように顔を合わせていたらその人の本質は分かるのですから。

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