見出し画像

友達と死の話をした

昨日、小中の同級生とご飯を食べに行った。

私は交友関係が広い方ではなく、地元の同級生で連絡をとっているのは唯一この友人だけだ。

他の同級生とは、今でも仲が悪いわけではないが、一緒にご飯を食べたり、ゲームをしたりして、一番気楽にしていられるのはこの友人だ。


そんな友人とご飯を食べに言った帰り道。

「1年くらい前に婆ちゃんが亡くなったんだよね。」

死の話が始まった。興味があるなと思い、色々質問しながら聞いた。

特定を避けるためざっくりと内容を説明すると、婆ちゃんと日帰りで温泉によく行ってて、その日も二人で町の温泉に車で出かけたらしい。

温泉ではいつも一時間程入るらしいが、その日は一時間以上経っても婆ちゃんが一向に風呂から上がってこなかった。

不審に思った友人は、受付の人に様子を見て来てもらえないかとお願いしたところ、風呂の中で既に婆ちゃんが意識を失っていた。

友人は、たまたま救命講習を最近受けていたばかりであったため、婆ちゃんの心臓マッサージをしたが、意識は戻らずそのまま亡くなってしまったらしい。

誰も気づかなかったのはおかしいと思ったけど、女風呂には友人の婆ちゃんしかおらず、誰も気づけるような状況ではなかったみたいだ。

「婆ちゃんが亡くなったからってわけじゃないけど、それから温泉に行く機会もなくなったね。」と、少しだけ笑いながら、だけど、どこか寂しそうに言っていた。


「こんなことを言うのはあまりよくないかもしれないけど、婆ちゃんが少しでも苦しまずに亡くなってくれていたらいいよね。」と、私は言った。

友人は、婆ちゃんの亡くなる瞬間には立ち会えなかったものの、亡くなってからすぐに立ち会えることが出来たのは良い事だなと思ったが、これは言わなかった。


友人の家には、高校生くらいまで良く遊びに行っていたため、亡くなった婆ちゃんの事もよく覚えている。

それでも、その話を私にしてくれたことが何より嬉しかった。


私は死の話が好きだ。

不謹慎だとか、人の気持ちを考えられないとか言われることもたまにあるけど、宗教チックかもしれないが、死こそ人生で一番輝く瞬間だと思っている。

生きている間に死の話をたくさんしたい。合ってるか間違っているかなんてどうでもいい、ただ死の話をしたい。

死を知っているのは亡くなった人だけで、幸運なことに亡くなった人と話す手段は確立されていない。

そのため、死を語ったとしても、肯定することもできれば否定することもできない。

そのうやむやさがとてもいい。


死の話を何の気なしにできるようになれば、相手と良好な関係なんだろうなと思う。

私が死の話が大好きっていうのもあるけど、友人が婆ちゃんが死んだ話をしてくれたことが嬉しかった。

そんな日だった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?