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八千代町歴史民俗資料館/スタンプラリー「資料館で茨城を知ろう」14箇所目

資料館で茨城を知ろうスタンプラリー14ヶ所目は、八千代町歴史民俗資料館です。
まずは、スタンプはコチラ✨

筑波山と、鬼怒川と、国指定重要文化財の埴輪男子立像です。わかりやすいですねー!
そして、14箇所目でいただける景品プレゼントは、こちらです!!!

八千代町のキャラクター、八菜丸(はなまる)のクリアファイルです!
八千代町は、白菜の生産量が日本一なんですよ、皆さん、ご存知でしたか?

なんと!もう一つあるんです!
写真の真ん中に見えてますね、勾玉です!!
八千代町歴史民俗資料館の職員さんが、手作りしてくれた、いっぴんものの勾玉です✨
何個もあって、好きなの選ばせていただきました〜♫ こどもみたいな、ちっちゃこいの選びました。
ありがとうございます!!!

この勾玉をGETしたのは、私が二人目だそうです。スタンプラリーは、2023年の4月30日までやっておりますので、これを見て「えっ💕欲しいかも!」と思った方は、ぜひ、7箇所目か14箇所目で、ご訪問ください😊

他の13箇所、全部、景品お聞きしましたが、多いベスト3はクリアファイル、地域のキャラクターグッズ(シールやボールペンなど)、ポストカードでした。

手作りという意味では、織物をされている地域の織物のコースター、織物の栞もありました。

しかし、資料館の職員さん自らが手作りされたのは、こちらの「八千代町歴史民俗資料館」さんだけです!!!
本当に嬉しいです、ありがとうございました🌈

こうして、14箇所のスタンプラリー全部制覇できました!
各資料館の職員さん、お話しお聞かせいただきまして、誠にありがとうございました!
また、地域おこし協力隊になるんですって話したら、別地域なのに、自分のことのように喜んで親切に接してくださいまして、とても嬉しかったです。

桜川市の真壁伝承館歴史資料館さんでは、「同じ県西地区同士がんばりましょう!」とおっしゃってくださり嬉しかったです✨

境町歴史民俗資料館さんでは、「八千代町近いから、どうぞ寄ってって言ってるんです」とオススメくださり誠にありがとうございます✨

さて、最後の14箇所目は、八千代町歴史民俗資料館です。以下、職員さんから伺ったお話しです。

★28,000年前、旧石器時代から、八千代町には人々が住んでいた。鬼怒川沿いに自然に集落ができ、沢山の石器や土器、土偶が出ている。

国指定重要文化財の埴輪男子立像は、栗山の古墳から出土。資料館には、八千代町にお住まいの方が作ってくださった模型が展示されていますが、ちっちゃく作られています。実物は高さは122センチあるので、122センチの高さの複製を作りたいところだそうです。

★平成31年に副葬品として、鉄の刀も出ており、実物を見ていただければ分かるのですが、これほど綺麗に残っているのは珍しいとされています(よく錆びなかった)

★復元された製鉄炉、尾崎前山遺跡の製鉄炉跡地など奈良、平安時代の遺物も出土している。

★なんといっても、飯沼新田開発。住民たちが一丸となった国をあげての一大プロジェクト。かずかずの苦難と努力の末に、1727年頃に完成。

★古い時代から人々が住んできた地域で、吉田用水の整備や、山川沼の開拓、飯沼の開拓が、今の農業の繁栄の礎となった。

★八千代町と平将門
935年 平将門、良兼と堀越(仁江戸付近)で戦
940年 平将門、藤原秀郷に討たれる
和歌氏が和歌に城を築いたが、負けて、
1589年 多賀谷三経、和歌城に居城
1590年 太田城できる

★八千代町で有名なのは太田城跡
戦国時代 多賀谷重経(たがやしげつね)の子ども虎千代が住んでた。
国替えで、結城市の殿様の結城秀康について行くことになり、城は一部の家臣だけが残った。多賀谷の家臣だったことを誇りに思う人達が今も住んでいる。

★今の栗山という所は、平将門の支配下だった当時、馬の管理場があったが、焼き討ちにあっている。

★将門が愛した桔梗姫は仁江戸という所にいたが、悲しいトラブルが発生する。
以後、お嫁入りの時もお嫁に出す時も、女性の着物は桔梗柄が禁止され、桔梗の栽培も禁止になった。

★将門の奥様のお墓は古河にある。

★天狗党の乱に、大久保七郎左衛門が参加

【感想】
八千代町は、1955年に、5つの村が合併して八千代村が誕生し、1970年には名実共に日本一の白菜産地となり、1972年に八千代町となり、50周年を迎えました。

白菜産地日本一となるまでも、様々な土壌調査、生育調査を地道に行い、土壌に合わせた品質の育成、調査、改良の努力を地味に重ねてきたそうです。
地域によって味も育ち方も違う、その差は、鬼怒川のおかげなんでしょうね!

白菜日本一、知りませんでした。
東京に住んでいて、茨城産の白菜のほとんどが八千代町産なんて、全く知りませんでした。

八千代町産!というブランドを押すのではなく、関東で出荷される白菜の基準・標準【スタンダード】として、毎年、その重さや大きさ、お値段などが、八千代町産の白菜を基準に決められているそうです!!それって、すごくないですか?!
八千代町で農業を営んでいる、生産者の皆様の様々な御努力を思うと、計り知れません!!!

テレビドラマや本に出てくるような華々しい主役級のストーリーではないものの、それぞれの時代で生きてきた人達がいる。

ちょっと聞いただけでも、焼き討ちされる、城を乗っ取られるなど散々な目にあっているのに、とにかく生き延びた、生きて命を繋いできたご先祖様たちが残してくださった遺物、遺品を、私達は大事に丁重に展示している…。すべてを受け入れる寛容性と逞しさのおかげで今の私達が生きてるんだなあと感じました。

西福院の500年前の木造阿弥陀如来坐像は本物だそうです!見てくださいね!

茨城県の資料館としては、建物の大きさの規模は小さいかもしれませんが、この日も、学生さんが勉強に来ていたり、歴史や考古学関係に興味ある方は、お勉強されるのに寄りやすい資料館だと思いました。

こんなふうに、Twitterの発信にも取り組んでいらっしゃいます。

9/25まで、こんな展示もされています!
ぜひ、八千代町歴史民俗資料館に、遊びにいらしてくださいね!

地域おこし協力隊の話し
8月1日より、八千代町の地域おこし協力隊に着任しました。
二次面談を受ける前に、八千代町の名前の由来がわからず、この八千代町歴史民俗資料館を訪ねて質問しています。

八千代町の史書を辿って探して、丁寧に、職員さんが教えてくださいました。

八千代町の名前は、当時、合併する5つの村の名前を一切入れずに、全く新しい名前で投票して多数決で決めると書いてありました。

斬新!!!
普通、一文字くらい入れませんか?
だって、それぞれの地域で、思い入れや歴史、文化があるでしょう?それを全く残さないというのが驚きでした。

結果、八千代町になるものの、由来は残念ながら明記されていませんでした。

「なんで、八千代町なんでしょう?」と訪ねたところ、職員さんが、
「八千代という言葉は、国家の君が代に、千代に八千代にとあります通り、(筑波山神社にも歌碑がありました)繁栄や豊かさが子孫まで未来永劫続く、縁起が良いという意味があります」

この言葉をお聞きした時、ぴこーん★とイメージが湧いたんです!

5つの村が合併する。
皆が両手を上げて万々歳で大喜びで大歓迎…とはいかないでしょう。

言いたいことは山ほどある。
筑波山の高さくらいある。いやもっと…???

皆が大事にしているもの、両手いっぱいに胸いっぱいに溢れんくらい握りしめてるの分かる。離したくないの分かる。
だけどね。
いったん、置こうか。
手から放して、いったん手をからにしてさ。

今日この日から、皆で一緒に、いっせーのせー!で、手を繋いでさ!一緒にやっていこうや!

一緒に八千代町(村)やっていこうや!

そんなイメージが浮かんだんですよ!勝手な一方的な感じ方ですけど。私はそう浮かんだんです。

なんて素敵な人達なんだろう!
私、この人達のために働こう!!!
って思ったんです。飛躍し過ぎですかね?

ただ私の名前の由来とリンクする「ご縁」も感じたので本当に一気に二時面談に向けて気持ちが高まっていきました。

マルシェを見に行き

桜を見に行き

美味しいガンモ♬

こんなでっかいズッキーニも初めて食べました♬

私は八千代町さんで、にぎわい創出プロジェクトに取り組みます。

八千代町の皆さんが笑顔になる。嬉しい楽しい面白いと喜んでいただける。そんなにぎわい創りを心を込めて誠実に実践します。

八千代町に暮らす皆さんを一番大切に。様々な歴史と文化と共に生きてきた人達の沢山のご苦労と想いを忘れることなく。そして八千代町の自然に感謝して。

八千代町を知らない方達に、少しでもご興味ご関心持っていただけるよう、遊びに来ていただける、ご訪問いただけるよう考えて形にしていきます。

佛性寺さんで、まさかの「大吉」いただきましたー✨

茨城県の結城郡に八千代町という町があります。
古河市さんと下妻市さんの間です。
境町さんや筑西市さんや結城市さんや坂東市さんや常総市さんと、沢山の地域に囲まれた、白菜と梨とメロンなどの農業の町です。かつては白菜御殿が建った八千代町。

これから、いっぱい、八千代町さんを勉強して皆様に発信してまいります。
八千代町の地域おこし協力隊ちよ子です。
八千代町のちよちゃんって覚えてくださいね。
どうぞ宜しくお願いいたします😊

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