「関係性重視」の傾向は良いのだけれども
ジェイン・ジェイコブズ(Jane Jacobs)は、著書『市場の倫理 統治の倫理』の中で、社会の中で相互に作用する二つの異なる倫理体系を提唱しています。この二つの倫理は、「商業の倫理」と「統治の倫理」と呼ばれ、基本的に混ざり合うことはないとされています。以下に、それぞれの倫理体系の概要を説明します。
平たくいうと、【商業の倫理】とは「お金」が媒介となる原理です。対立が解消されない場合はお金で解決しましょう、違約金、解約金、罰金・・・、でも納得いかなかったら最後は闘争ですよね(国家間なら戦争)という理論の上に成り立っています。
一方の【統治の倫理】は、もっと「ムラ社会」をイメージしてもらえばいいと思います。ジェイコブズによると、カラハリ砂漠のクン族というのは、アメリカの3倍の割合の多さで殺人事件があるそうです。温和で、みんなで食料を分かち合い、同胞感と上機嫌を楽しむ民族ほど殺人が多いのだそうです。つまりこういうことでしょうか?表立った対立や紛争による解決が認められなかったら、商業的な喧嘩別れの究極である戦争という手段が取れなかったら、もっと部族的な手段である、テロや暗殺がはびこる。
平成の時代の企業のスタイルといったらまさに【商業の倫理】が推し進められた世界でした。企業は生産性を追求し、それに追い付けない社員は雇用の違約金である割増の退職金をもらって退職勧奨を受けました。ロジカルシンキングなどを徹底的に仕込まれたMBAホルダーは自動的に出世もできました。いかんせん、競争の時代でした。
ただ、それが令和時代に入り、エンゲージメントの向上や1on1ミーティングの奨励といった具合に、関係性や対話の文化が重要視されるようになりました。つまり、企業はどんどん【商業の倫理】から【統治の倫理】にシフトしてきているのです。ドライからウェットへの移行といったらもっとイメージしやすいかもしれません。
【商業の倫理】の時代には対立が認められていましたが、【統治の倫理】の色が濃くなってくると、対立が認められなくなってきます。会社で殴り合いとかやったら大変なことになるでしょう。表立った対立が認められなくなってきて、競うことも時代遅れとなってくると、【商業の倫理】の時代に概ね一掃されていたもの、つまり、「裏切り」とか「寝技」とかが息を吹き返してきます。戦争がなくなるとテロや暗殺が増えるのと同じ原理です。
「お金」の関係から「人間関係」重視に変わることは、個人的には歓迎しています。「対話」による融和もとても美しいと思います。でも、特に役職者や管理職は今まで以上に注意が必要です。寝首を掻かれないようにしてください。
表立った争いができなくなると、人間の行動(本能?)は必ずこちらの方向に動きます。
私は「対話」は否定したくありません。しかし、すべてが「対話」で解決できるかというと、それほどこの世界は甘くはなく、きっと、もっともっと複雑なのだと思います。
最後まで読んでいただいて、どうもありがとうございました。