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一元論から二元論へ、「共感」へと至る「ネガティブ・ケイパビリティ」の変遷について(帚木蓬生『ネガティブ・ケイパビリティ~答えの出ない事態に耐える力~』を読んで)




「ネガティブ・ケイパビリティ」とは

まず、「ネガティブ・ケイパビリティ」とは何か。ここはあっさり、Wikipediaさんに頼りましょう。

ネガティブ・ケイパビリティ(英語: Negative capability)は詩人ジョン・キーツが不確実なものや未解決のものを受容する能力を記述した言葉。日本語訳は定まっておらず、「消極的能力」「消極的受容力」「否定的能力」など数多くの訳語が存在する。『ネガティブ・ケイパビリティ 答えの出ない事態に耐える力』によると、悩める現代人に最も必要と考えるのは「共感する」ことであり、この共感が成熟する過程で伴走し、容易に答えの出ない事態に耐えうる能力がネガティブ・ケイパビリティ。キーツが発見し、第二次世界大戦に従軍した精神科医ビオンにより再発見されたとのこと。
(Wikipedia)より引用

数年前、帚木さんのこの本を読んだ時、当時はこの、「ネガティブ・ケイパビリティ」の「ネガティブ」が何に対してのネガティブなのか、答えのないものが、なぜ「否定的」と表現されるのか、その意味がよく分かりませんでした。今回、原点を当ってみようと、キーツ著『詩人の手紙』(富山坊百貨文庫)を買って読んで、ようやくそれが理解できました。なるほど、つまり、「ネガティブ・ケイパビリティ」の「ネガティブ」とは、写真の「ネガ」の意味なのです。

キーツは肺結核で、1821年に25歳で亡くなっています。初めて「ネガティブ・ケイパビリティ」のことを弟宛の手紙に記したのは1817年なので、その時期は死の3年前にあたります。同じ結核を患っていた別の弟の様子を見ても、自分は30までは生きられないと、そのことはよく自覚していたはずです。写真にはポジとネガという裏表の二極が存在しています。まもなく訪れる「死」という事象、つまりポジという一枚の写真に対して、そのネガだけが変わろうはずがないことを前提に、この「ネガティブ・ケイパビリティ」という考えが誕生したのではないかと私は思いました。そこに思考の余地がないのは自明です。どんなに頑張っても、ネガと異なる写真は出来上がりませんから。まもなく訪れる死という自分の運命に対して、それに何らかの意味付けをし、答えを出そうとするよりも、それを受け入れる方がどれだけ高い能力が必要か、キーツは理解していたということです。キーツの言う「ネガティブ・ケイパビリティ」とは、キーツの人生の表と裏だったのだと私は理解しました。

いきなり「ネガティブ・ケイパビリティの変遷」という主題から外れましたが、上記がすべてにおける大前提になります。その変遷という意味では、キーツから始まって、著者の帚木さんまで、少なくとも4人の、4つのレンズを通して、「ネガティブ・ケイパビリティ」が再定義され続けてきたように思います。しかも、当初、キーツは、一元論で語っていました。それが、精神医学の臨床にその実践の場が移ってきたあたりで、もしくは、現代的な時代の人のあり方の変化に対応して、「共感」という新しい概念が加わり、自分と他者という二元論へとその概念自体が変化していきました。以下にその変遷を整理してみたいと思います。

第一形態:ジョン・キーツの手紙


注意深くキーツの『詩人の手紙』を読んでみると、キーツの言葉の多くに、仏教や道教といった東洋の哲学的の片鱗を見ることができます。このことを押さえるのは、「ネガティブ・ケイパビリティ」を理解する上で、とても重要なことです。

ではまず、キーツの手紙の中から、有名な、「ネガティブ・ケイパビリティ」が文字として登場した箇所を切り出してみましょう。

それは特に文学において偉大な仕事を達成する人間を形成している特質、シェイクスピアがあれほど膨大に所有していた特質、それが何であるかということだ―ぼくは、「消極的能力(ネガティブ・ケイパビリティ)」のことを言っているのだが、つまり人が不確実さとか不可解さと疑惑の中にあっても、事実や理由を求めていらいらすることが少しもなくいられる状態のことだ—(中略)偉大な詩人にあっては、美の感覚が他のすべての考えを征服する、あるいはむしろ抹消するということだ。
手紙8 1817年12月22日(キーツ『詩人の手紙』)

これは詩的なもの、情動、神の啓示といったものの受け入れ方と、それを受け入れる能力について語ったものだと思います。良いも、悪いも、ありえないも、すべてを思考のふるいにかけることなくそのままの姿で受容すること、つまりポジティブな存在に対して、自らはその受け手、「無判断の受け手」とならなくてはならないといった意味で捉えました。

少し「ネガティブ・ケイパビリティ」からはそれますが、キーツの基本的な思考概念を知る上でとても重要な箇所が、上記の「ネガティブ・ケイパビリティ」の初出から、3カ月後の手紙の中で出てきます。そこでキーツは、仏教と、あとは、おそらくワンネスの思想について、自分の考えを述べています。かなり長いので、箇条書きにして要約します。

・人の知性が円熟に達すると、どんな詩の一節でも「32の宮殿」への出発点となる。
・人は誰も蜘蛛のように自分の内部から糸を出して、おのれの空中の砦を築くことができる。
・蜘蛛は美しい網の輪を空中いっぱいに張り巡らす。
・人間の心は、みなそれぞれに違っていて、さまざまな人生の旅をするように見えるが、無数の点において互いに相反していても、結局は旅の終わりで出会う
受けるものも与えるものも等しい恩恵を受ける。花は蜜蜂に一方的に蜜を与えているということはない。花は蜜蜂のおかげで翌年さらに美しい花を咲かすことが出来る。男女の交わりにおいても、どちらかの歓びが一方的に大きいということもない。
・自分が蜜蜂だとしても、ブンブンせわしなく飛び回るのはやめよう。花のように、花びらを開き、受け身の態度で受容することにしよう。
・(文章の後に詩があり、その詩の最後に)「自分を眠っているといると思う者は、目覚めているのだ」
手紙12 1818年2月19日(キーツ『詩人の手紙』)の要約

蜘蛛の話が出てきますが、これは、華厳思想に出てくる「インドラ網」のことを示しているように思います。「32の宮殿」というのは、その場面に出てくる帝釈天の宮殿のことを言っているのかもしれません。いずれにせよ、この記述が出てきたことで、キーツは華厳思想の真理である、「一即多・多即一」という考え方を知っていたと考える方が自然です。つまり、一粒は宇宙全体と表し、宇宙は一粒の中にあるという考え方です。人生においてバラバラになったように見えても、最後はまた一つに戻る、本来的にはすべては一つであるというのは、「ワンネス」の考え方を示しています。キーツは自己と他者とを分けて考えることには否定的であったようです。前提として全体は一つ、前提としてすべてはつながっているということをキーツは支持しています。つまり、他者とは自分自身の延長なのです。

そこから一転して、蜜蜂と花の例えが出てきますが、ポジとネガは表裏一体として、再び、「ネガティブ・ケイパビリティ」の本質に戻ってきます。男女和合の歓喜というのは、チベットの曼陀羅のことをさしているように思います。

チベット曼陀羅の歓喜仏


そして、「眠っているように見える者が、実はもっとも目覚めている者」であるというのは、「ネガティブ・ケイパビリティ」の本質を、別の表現で言い換えたもののように思います。

さらに、続けましょう。翌月、3月の友人あての手紙では、「ネガティブ・ケイパビリティ」の考え方がさらに具体化してきます。こちらも長いので要約します。

・精神的な追及は、追及そのものは「無」だが、追及者の熱意から、実体的なもの、半ば実体的なもの、そして無の3つを獲得することが可能である。そして、その「無」とは、「それを見るものすべてを神聖にする」ことができる。
・人間の思考において、心の中心には世界を分ける2つの「極」がある。人間はその「極」を軸にして回転し、あらゆるものはこの両極を基準にして特定の方向を向いている。
手紙14 1818年3月13日(キーツ『詩人の手紙』)の要約

一つ目は、「ネガティブ・ケイパビリティ」に関したもので、「無」つまり、「ネガ」とは「神聖」であると言っています。ひとつ前で出てきた「目覚めている」者との符号を感じさせます。2つ目の「人間の思考」云々というのは、再び先程のチベットの曼陀羅のことを言っているような気がします。世界の中心には男女を代表とした2つの極があり、それが互いに交じわり合い、一体となることで世界を形成しているということを言いたいのだと思います。ですので、表裏というのは、本質的には2極ではなく、1極の表裏ということです。道教の陰陽の図をイメージすると、理解しやすいと思います。ポジティブの存在を肯定し、ネガティブの存在を否定するのではなく、ポジティブ・ネガティブの両方が存在して、初めて一つの個が満たされるということになります。さらに、この手紙の2か月後の5月の手紙には、それがもっと直接的、かつ象徴的な言葉で、「全体性」と表現されるに至っています。

しかし、手紙には、そこからはしばらく「ネガティブ・ケイパビリティ」のことは出てきません。そして、やや唐突に、半年ほど経ったその年の10月に、出版関係で世話になっていた弁護士あての手紙の中で、さらに純化した形で再び姿を現します。

詩的性格はそれ自体ではない―それ自体というものをもっていない―それはあらゆるものであり、また何ものでもないそれは性格をもっていないそれは光も影も受け容れる。それは喜びの中に生きるが、その喜びが清いものであっても汚れているものでも、高くても低くても、豊かでも貧しくても、卑しくても高貴でもかまわない―(中略)詩人というものはこの世に存在するものの中で最も非詩的なものだ、というのは詩人は個性を持たないからだ—詩人は絶えず他の存在の中に入って、それを充たしているのだ—(中略)ぼくがその詩人なのだとすれば、それはもはやぼくが詩を書いているのではないと言ってもどこに不思議があるだろうか。(中略)残念ながら告白しなければならないが、ぼくが言うどの一言でも、ぼくの生まれつきの個性体から生じた意見として認めうるものではないということは、まさに事実なのだ—
手紙21 1818年10月27日(キーツ『詩人の手紙』)

帚木さんの本の中に、「詩人はアイデンティティを持たない」という箇所がありましたが、ここがまさしくその箇所です。有に対して完全に無であるからこそ、それを完ぺきに受容することができると言っています。これは、画家やミュージシャンを始め、多くのアーティストの言葉との共通項を感じます。最終的に、世に始めて出てきた「ネガティブ・ケイパビリティ」とは、アーティストが「神の声が聞こえた」というような、神がかり的な現象をさして、その能力に名前を付けたというものなのでしょうか。「答えの出ない事態に耐える力」を指してそう呼んでいるのか、私には分かりません。

ちなみに神の言葉を聞く方法は、一般に3つあるとされています。一つ目は、よくある、特殊な精神状態のときに、「降ってくる」というものです。2つ目は、明恵や出口王仁三郎のように、別の世界に自分から行って聞いてくるというものです。そして、3つ目が、イタコのように神仏や霊が憑依して、その口を通して語らせるというものです。キーツに限定せず、キーツのような「詩人という職業の人」は、全般的にここでいう一つ目の、つまり、ある種の「受容体」であったということは驚くにあたりません。

キーツの手紙から、「ネガティブ・ケイパビリティ」を想像させる記述があるのは、亡くなる2年から3年前のこの1年間に限定されます。キーツにとって「ネガティブ・ケイパビリティ」とは、彼の人生の一時期、彼を支配した「考え方」の一つだったのかもしれません。ただし、仮にこれがキーツの単なる「ひらめき」に過ぎなかったとしても、それがいまの時代に息づいているという事実は変わりありません。やはりキーツの残したその概念、その足跡は偉業としかいいようがありません。

第二形態:ウィルフレッド・R・ビオン


ビオンは20世紀に活躍した精神科医、精神分析家です。キーツの死から160年以上を経て、「ネガティブ・ケイパビリティ」を再発見した人とされています。

ビオンの論点は非常に分かりやすいと思います。なぜなら、彼はのちのノーベル文学賞の受賞で、当時精神を患っていた、サミュエル・ベケットの主治医であったからです。ベケットの作風について、松岡正剛は「千夜千冊」の中で、「ベケットの創作力の源泉は言葉やコミュニケーションの「不安定性」にかかわっていた。曖昧、不確定、やりとりの不成立、勝手な理解、共感の不成立。これがベケットの文学であらわされている(あるいはあらわしたかった)言葉の不安定性だ」と記しています。帚木さんの本の中でも、意味をなさないベケットの言葉とコミュニケーションの不成立への対応として、「もっと深い人間の奥底に到達するには、表層的な意味を拒否するしかない」と、ビオンの言葉が紹介されています。つまり、ビオンは、論理矛盾を抱えたベケットの言葉が理解できなかったのです(それはきっと誰にとっても)。ビオンにしてみれば、当然、不確実さを受け入れなければ、何一つ前に進めることはできなかったはずです。

ビオンは、幅広すそ野をもった山のその「頂点」として、一人の人間的存在を描きます。この態度は個対個という二元的な地平を想起させます。しかし、ビオンは、「ネガティブ・ケイパビリティ」が保持するのは、形のない、無限の、言葉では言い表しようのない、「非存在の存在」と結論づけました。帚木さんは、ビオンのその言葉を指して、「精神分析に対する根源的な問い」だとして、「衝撃的」だと表現されています。その一方で、受け手が「個」を持たないというのはキーツが示した一元論の根幹です。ビオンが再発見したものは、結論的には、キーツの考えの本質だったのです。

第三形態『共感に向けて。不思議さの活用』という論文


帚木さんにとって、この本を書くきっかけになったのがこの論文だったといいます。冒頭の要約には以下のことが書いてあったそうです。

—人はどのようにして、他の人の内なる体験に接近し始められるだろうか。共感を持った探索をするには、探求者が結論を棚上げする創造的な能力を持っていなければならない。現象学や精神分析学の創始者たちは、問題を締めくくらない手順、つまり新しい可能性に対して心を開き続けるやり方を、容易にする方法を発展させた。(中略)体験の核心に迫ろうとするキーツの探求は、想像を通じて共感に至る道を照らしてくれる
帚木蓬生『ネガティブ・ケイパビリティ』より

第四形態 帚木さんの「共感」


帚木さんは、論文に出会ってから30年間、「ネガティブ・ケイパビリティ」に支えられてきたといいます。帚木さんは、問題が起れば、それにすぐ対処する力、つまり、「ポジティブ・ケイパビリティ」の裏返しの能力として、「宙ぶらりんの状態を回避せず、耐え抜く」力として、「ネガティブ・ケイパビリティ」を実践されてきました。

そして、巻末、「おわりに―再び共感について」で、臨床での共感体験が綴られ、本書はエピローグを迎えます。

「ネガティブ・ケイパビリティ」と「共感」と


ところで、私は、キーツの概念に「共感」が含まれているのか、はなはだ懐疑的です。本書にはキーツの詩集『ハイペリオン』から一部、詩が紹介されています。

そこには、「喜びも悲しみも歓迎する」、「幼児が頭蓋骨で遊んでいる」、「二つとも正気で狂っている」といった対になった表現が出てきます。私が言いたいのは、こういうことです。喜びは悲しみに転嫁することはあっても、そのそれぞれが共感し、響きあうことはないはずです。幼児と頭蓋骨というのは、おそらく、無垢と穢れの象徴だと思いますが、その両方が共存することはあっても、互いに拒絶しあったり、惹かれあったりすることはないはずです。「正気であって狂っている」というのは、南方熊楠が『燕石考』で使ったパレオロジック、ドゥルーズのいう「包含的接触」のことです。Aという一つの現象が起こった時、時間と空間とに呪縛された我々の知っているロジックだと、おのずとBというA以外の現象は起こりえないものとして否定されてしまいますが、このロジックではAもBもという形でその両方が肯定されます。AとBは一体ということです。現象学的には測ることのできないほどの瞬間で入れ替わっているため、両方が真実として存在するのかもしれません。

「共感」とは、自立した個と個の関係性のことで、両者の間には対立や信頼などの関係が生じます。キーツが言っているのは1つの事物の表と裏のことで、それらは表裏一体、どこまでいっても一個体の不可分のものです。

結び -「無」の力-


ちょうどいい引用がありました。文化人類学者の岩田慶治の著書『自分からの自由』の中で、「外部の対象からの呼びかけに答える感受性、あるいは感応する力」について記述された箇所があります。そこでは、まず、ニーチェの「照らし、光をふりそそぐ相手が存在しなかったら大いなる星、太陽だって不幸なのである」という言葉を引っ張って、無垢の受け手の存在の重要性を説いています。そして、その次に、白隠の「無」という書について次のように述べています。

無が存在の消滅を意味するなら、消え去っていく文字の形は、肩をおとして力なく書けばよい。(中略)この字は、存在のより大きい、いや、もっと大きいものに触れて、そこから引き返してきたから楽しそうなのではなかろうか。そうすると「無」のなか、「闇」のなかに、ほんとうの存在がかくれている。ただ、それを見ることもつかまえることもできないだからそれを「無」といったのだろうか。存在のもっと深いところにある折り返し地点を「無」といったのではなかろうか。
岩田慶治『自分からの自由』(講談社現代新書)

岩田はアニミズムの研究家として知られています。アニミズムは人間のみが世界の主人公ではないという多種・多源を重んじる思想です。岩田の言うような、人知の及ばない「無」のパワーを信じられる能力こそが「ネガティブ・ケイパビリティ」のように思います。

有と無の一つからなる世界と、共感という個と個の橋渡しをする世界とは、そもそもの地平が違います。

キーツが生きていたならこう言うのではないでしょうか。あなたが他者と思っているのは実はあなた自身であり、どれだけ割り引いたとしても、その存在はあなたの分身以下のものではないのだと。


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